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『台湾の日本仏教―布教・交流・近代化―』の刊行に寄せて

浄土真宗本願寺派慈願寺住職 那須弘紹氏

2019年3月1日付 中外日報(論)

なす・こうしょう氏=1967年、熊本県生まれ。龍谷大文学部仏教学科真宗学専攻卒。研究テーマは日本仏教の海外開教。

約1年前、台湾の台南市で友人家族と夕食を共にしたことがあり、そのあと「祀典武廟」という『三国志』で有名な関羽を祀った廟に案内され、そこで一人の日本語が堪能なご老人を紹介された。台湾の高齢者には日本語をしゃべることができる人が多い。これも50年にわたる日本統治時代の無形遺産と言っていいかもしれない。

私の友人は日本語をしゃべれない。かといって英語で祀典武廟について説明できるほど英会話も堪能ではないし、それ以前に私の英会話のレベルでは理解できないので、友人が知り合いのご老人に説明をお願いしたのだ。

とても丁寧に廟の内部や、そこに祀られてある神仏について説明されるのだが、その中で老人が何度も口にした「日本もここは壊さなかった。だから道がここで曲がっているのです」という言葉が印象的だった。

言われてみれば、確かに廟の前までは真っ直ぐと伸びた道が、明らかに廟を避けるために左に曲がって廟に沿うようにして、また真っ直ぐ伸びている。

こういった現場を見たり、老人の語りを聞くと、それまで単なる知識として記憶していた「台湾の日本統治時代」という符号に、微かに生々しさが宿る。

契機は従軍布教

冒頭から、何の話をしているのだと思われたかもしれないが、今から紹介する『台湾の日本仏教―布教・交流・近代化―』(勉誠出版刊、2018年8月)には、その「生々しさ」が散りばめられている。

本書は、この分野を専門とする日本そして台湾の24名の研究者による14の論文と10のコラムで構成されている。タイトルの「台湾の日本仏教」とは、言うまでもなく、1895年以降1945年まで日本が統治した台湾における日本仏教の布教およびその展開を指している。

当時、実に多くの日本の仏教教団が台湾に進出していた。それは台湾が日本の植民地となったことが契機となっているのだが、その契機が従軍布教であったことはあまり知られていない。

台湾における日本仏教の研究は、本書にも寄稿されている松金公正氏の「真宗大谷派による台湾布教の変遷―植民地統治開始直後から台北別院の成立までの時期を中心に」(『アジア・アフリカ言語文化研究』71号)や、同じく寄稿されている中西直樹氏による『植民地台湾と日本仏教』(三人社)など精力的な研究が見られるが、いずれにしても各宗派ごとの個別的な研究であったことは否めない。

本書の魅力の一つとして、いままで個別的に進んでいた研究の一端を紹介することによって日本仏教の各教団の活動を俯瞰で見ることができることが挙げられる。

また、台湾における研究では、同様に寄稿されている闞正宗氏による「台湾日治時期仏教発展與皇民化運動」(博揚文化出版)に代表されるように、日本仏教を「侵略―抵抗」「支配―従属」といった二項対立で捉え、そして日本仏教は、「皇国仏教」だといわれている。

たしかに、戦前の日本仏教は、特にアジア方面に向かっての布教においては、普遍性は弱かった。その原因として挙げられるのは、明治政府の神仏分離令により始まった廃仏毀釈運動である。これにより危機的状況に陥った仏教教団は、新しく領土となった台湾へ活路を見いだした。だが台湾を仏教の新天地と見たのかというと、そうではなく従軍布教として日本の植民地政策に自ら組み込まれていくことに活路を見いだしたのだ。

日本化への手段

実際、当時の日本仏教は日本の国策に則った形で海外進出し、地域としては東アジアを中心に、北米、ハワイ、千島、樺太からやがては南洋など広範囲に教線を伸ばしている。

ハワイや北米では仏教および日本人は宗教的・人種的偏見にさらされ、決して良好ではない状況下にあった。アメリカにおいて日本という異文化の価値をそのまま宗教に結び付けて布教しようとすることは、言いかえればアメリカ文化の価値観を認めない態度であり、当然アメリカ人に受け入れられることは難しい。なのでハワイやアメリカでは仏教の普遍性をアピールすると同時に、アメリカ社会に適応したもの、つまり日本仏教からアメリカ仏教へと変革していかなくてはならなかった。

これに対し台湾での布教はアメリカのそれと大きく事情が異なっていた。日本は台湾を日本化していくための手段として日本仏教を利用し、また各教団側もそれに則って、台湾の既存の宗教を日本仏教化していくことに重きを置いていたようである。そこには日本仏教の各教団の思惑と、台湾および中国仏教の思惑、さらに台湾宗教界の思惑が重なり合い、信仰としての広がりというより、実利を優先した形で進んでいった部分が大きかった。

本書では、まずこのように台湾における日本の各教団の布教実態という大きな物語を論じた後、1935年に起こった新竹・台中地震での救援活動や、現在も形を変え残っている仏教慈愛院などの医療救済活動、そして教育事業など社会活動を通して、各教団と台湾社会との関わりと交流を論じつつ、徐々に日本仏教という大きな枠組みから、その「大きな物語」の中でそれぞれの信念のもとに生きた「個の物語」へとシフトしていく。

台湾を統治するために設置された「台湾総督府」、台湾で布教活動を繰り広げる「各日本仏教教団」、それにしたたかに対応していく「台湾仏教」および「台湾土着宗教」というのは、一つの括りでしかない。もしくは「符号」と言ってもいいかもしれない。当然といえば当然なのだが、歴史を作っていくのは、その括りの中(それは前述した括りであったり、時代背景であったり、その人物の育った環境でもある)で生きた個人である。個人にスポットをあてたとき、そこに私たちはリアリティーを感じることができるのだ。

本書にはその「個の物語」が散りばめられている。24名の研究者の多彩な研究論文の中で息をする、その当時を生きた多彩で多様な人物の人生を知るとき、台南で出遇った老人の言葉に感じたような「微かな生々しさ」を感じるのである。

台湾の日本仏教について、それぞれの想いを持った人々が確かに日本統治時代の台湾で活動していたのだということを、本書を通して知らされていく。私はこれこそが本書の最大の魅力だと思う。

光瑞にスポット

最終章の第三章では、「台湾の近代化と大谷光瑞」と題して、台湾の日本仏教史上、最も大きな「個の物語」の主人公である大谷光瑞へスポットをあてていく。台湾は、アジア広域に様々な足跡を残した大谷光瑞が最後に到達した場所である。光瑞は台湾に定住を決意し、台湾南部の都市である高雄に「逍遥園」を建て、そこで自給自足の生活を送った。当時の日本人としては、世界的視野をもった光瑞もまた、台湾に希望を見いだしていた。

光瑞が建てた「逍遥園」は2010年に高雄市の歴史建築に指定され、現在修復工事が進められているそうだ。

最後になるが、本書は近代の日本仏教の海外布教地域の一地域である台湾についての研究論文集で、台湾における日本仏教の通底する問題を様々な角度から取り上げている。だがそれでも通底する問題とは何か十二分に解明したとは言えない。それはいまだ解明されていない日本仏教教団の海外布教に伴う指針などが、はっきりしないからである。東西本願寺教団の海外活動については、かなりの研究蓄積があるが、それ以外の教団についての研究蓄積は多くはない。本書のような論文集をきっかけに近代における日本仏教の海外布教についての研究が進み、明らかになっていくことを期待している。