天海僧正の精神大事に
天台宗東叡山輪王寺門跡門主・寛永寺貫首 浦井正明氏(82)

天台宗東叡山輪王寺門跡門主・寛永寺貫首にこのほど就任した。「執事長を退いた後、長臈となって一度は隠居したつもりの身だが、これも巡り合わせ」と話す。
寛永寺の子院・現龍院に生まれた。東洋史の学者になった兄の影響で歴史の本に親しむうちに自然と慶応大の史学科に進んだ。大学院の途中で寺に呼び戻されたことを今でも残念に思っている。
その後、不忍池辯天堂に8年詰めた。参拝の人出の多い中、世間話や愚痴が寄せられると1時間でも2時間でも相手の気が済むまで付き合った。「悩みは人それぞれで一様ではない。解決できなくとも聞き役に徹することが大切。今から思うと大変勉強になった」と振り返る。
寛永寺は彰義隊が立てこもった上野戦争と第2次世界大戦の空襲で壊滅的な被害を受けており、史料がまとまった形では残っていない。若い頃から古本屋などで関係史料をコツコツと集め続けてきた。「細かな史料をつなぎ合わせていく中で、これまで知られてこなかったことが分かるのが歴史の楽しみ」
特に寛永寺開山・天海僧正についての研究はライフワークだ。書簡などの一次資料を通して見えてくるその姿は、「悪く言えば頑固。筋の通らないことはたとえ幕閣相手でも譲らない芯の通ったお人柄。天海僧正について分かったことは身びいきなしに書き残していきたい」と語る。
「時代とともに寺も変わらなければいけない。将軍家の菩提寺・寛永寺を庶民も自由に参ることができる寺とした天海僧正の精神を大事にしていきたい」と抱負を語る。
(佐藤慎太郎)