ハンセン病家族訴訟原告団長 林力さん(95)

ハンセン病患者の隔離政策で助長された差別偏見で患者の家族も差別を受けたとして、元患者の家族ら561人が国に損害賠償などを求めた「ハンセン病家族訴訟」で原告団の先頭に立った。
今年6月に熊本地裁は国の責任を認めて原告の大半に賠償を命じる判決を出し、国は控訴しない異例の判断。今月には補償法と名誉回復を図る改正法が国会で可決した。
ただ、ハンセン病問題の啓発はまだこれから。「なぜ日本の教育はこの問題を課題にしてこなかったのか」と問う。
池田圭
ハンセン病家族訴訟の判決や国の控訴断念をどう評価しますか。
林 当然の判決だと思いますが、補償の金額よりも今後の啓発が問題だと思います。一番怖いのは、この裁判や判決で全てが終わってしまうことです。これを契機にして当事者の声を生かした教育や社会啓発を進めてほしい。
ただ、にわか勉強した人権派の大学の先生とか、知ったかぶりで差別の痛みや苦しみを感じたことのない人とか、そういう人が政府や行政のお墨付きを得て啓発の場で偉そうな話をするようなことだけは、ごめんこうむりたい。
原告の多くは国会議員懇談会や記者会見などで原告番号を名乗った。
林 それが差別の現実です。本名など全てを明らかにしている人は何人いるのか。例えば原告団の集会でさえ「顔を見せたくない」という原告はたくさんいます。親戚や故郷の人に隠している人が大勢いるのです。
なぜ日本の教育はこの問題を課題にしてこなかったのか。ハンセン病患者を拉致するように隔離する政策を進めた一方で、なぜそのような過ちを犯したのか、国民に説明していない。
私の父が入所していた星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)に行く際に駅からタクシーに乗るのですが、運転手さんから「ここは何の施設ですか」と聞かれて、びっくりしたことがあります。県も市も県民や市民に敬愛園の説明をきちんとしていないのでしょう。
ご自身の境遇は。
林 父は長崎県の島原半島出身で、昭和初めの不景気に巻き込まれて商売に失敗し、逃げるように私たち家族と博多に移り住みました。
父の身体に異常を感じたのは小学校低学年の頃で、ある時、内側に湾曲してきた手の指を伸ばしてやろうと手に触ると、いつもは温厚な父が烈火のごとく「触るな!」と怒ったことを覚えています。
父は、私が小学6年の夏休みの終わる日に一人で家を出て星塚敬愛園に入所しました。当時、ハンセン…
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