「音楽は世相を反映する」と語る音楽文化研究家 長田暁二さん(89)

寺の次男として生まれたが、レコード会社のディレクター・プロデューサーとして昭和の音楽業界を渡り歩いた。かつてはテレビ番組「月光仮面」の主題歌も手掛けた。音楽文化研究家としての著作は約500冊にも上る。
曹洞宗梅花流御詠歌のレコードなど様々な企画にも携わった経験があり、「とにかく何でもやってみる」がモットー。世相に応じた音楽を提案するとともに、音楽を通して世相を読む。よく知られた音楽から仏教的な背景を読み解けるとも指摘する。
佐藤慎太郎
昔から音楽好きだったのですか。
長田 岡山にある曹洞宗のお寺の次男として生まれました。今も足が変形しているのですが、3歳の時に汽車にひかれました。病院から退院して痛みで泣いてばかりいる私に対して、おやじがなけなしのお金でポータブル蓄音機を買ってきてくれたんです。自分一人でできるようにと針の落とし方を何回も何回も練習させられて、一日中それを聴いて育ちました。字も読めない頃でしたが「門前の小僧」のように自然と音楽に親しんでいました。
学校に行くような年になってもうまく歩けずに、周りからつえを取り上げられたりといじめられていました。友達もできず、このままじゃ駄目だと思っていた時でした。変われたきっかけは、学校の音楽の時間に「せいくらべ」を歌った時です。先生が「お前は耳が良い」と褒めてくれたのです。それからは授業で新しい曲を練習することになるたびに、まず「長田、歌え」と言ってくれて、そのことが自信につながりました。
本格的に音楽に携わるきっかけは。
長田 1948年に駒澤大に入学します。上京した際は戦災の影響がまだ残っており、トタン屋根や焼け残りの建物が並ぶ風景、そして東京駅に降り立つと富士山が見えたことを印象深く覚えています。
音楽好きだったので、コロムビアレコードのバンドボーイのバイトをしていたため、大学にはほとんど行きませんでした。そっちの方が面白くて。美空ひばりさんや藤山一郎さん、霧島昇さんたちのレコーディングの準備や片付けも経験できました。
卒業後はキングレコードに入社し、童謡を中心に担当しました。ちょうど歌謡曲がはやり始めて、子どもが童謡を歌わなくなった頃で、戦前の流行歌手のリバイバルなど、いろいろ工夫しなければなりませんでした。
75年にポリドールに、80年に徳間ジャパンにと、音楽関係の各社を少なくとも5社は渡り歩きま…
つづきは2020年1月22日号をご覧ください