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関東大震災朝鮮人虐殺証言集の編者 西崎雅夫さん(60)

ほっとインタビュー2020年9月24日 11時30分
関東大震災朝鮮人虐殺証言集の編者 西崎雅夫さん にしざき・まさおさん=1959年、東京都足立区生まれ。明治大在学中、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」発足に参加。中学校教諭として勤務しながら、社会教育団体「グループほうせんか」発足時の代表世話人を務める。現在は「ほうせんか」理事。

1923年9月1日に発生した関東大震災では流言で多くの朝鮮人が虐殺された。東京都墨田区旧四ツ木橋近辺での聞き書き調査で、自警団・軍による虐殺を知った市民らは追悼を続け、2009年には現場近くに追悼碑を建立した。

追悼碑を管理する「ほうせんか」の西崎雅夫理事は都内全域の目撃証言を郷土資料から発掘。『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』(現代書館刊)にまとめた。3年後には100年を迎えるが西崎氏は「終わっていない」と語る。

山縣淳

「ほうせんか」がこの地域で追悼を始めたのは。

西崎 きっかけは東京都足立区の小学校の先生、絹田幸恵さん(故人)です。1920年代後半、荒川放水路の歴史を調べ、流域のお年寄りの話を聞いていた。たまたま旧四ツ木橋周辺で、開削工事も大変だったけど、関東大震災ではもっと大変なことがあった。朝鮮人がたくさん殺されて河川敷に埋まっていると知り、絹田さんの呼び掛けで前身の会が82年にできました。

当時、私は大学生で、近所の足立区西新井で生まれ育ち、子どもの頃、夏は河川敷で毎日のようにサッカーをやっていた。そのすぐ下流に遺体が今も埋まっていると聞いて驚き、参加しました。

橋の近辺でどんな事件があったのですか。

西崎 掘削工事は明治末から20年ほど続き、関東大震災当時、植民地の朝鮮半島から大勢が働きに来ていた。この東京東部は朝鮮人がたくさん住んでおり、街中の工場でも力仕事で働いていた。

震災でこの一帯は焼け残り、焼けた南西部から人々がどんどん避難してきた。荒川で行き先を防がれ、四ツ木橋を渡るしかなかった。逃げる中で流言飛語が流れました。火事は「朝鮮人が火を付けたからだ」、火の中で物が爆発すれば「朝鮮人が爆弾を投げた」とデマが流れました。

「朝鮮人が襲ってくる、身を守らなければならない」と自警団が四ツ木橋の手前に検問所を作って、朝鮮人を見つけ次第、次々と殺した。証言者の曺仁承(チョインスン)さんは検問所ができる直前に向こう側に渡り、対岸の自警団に仲間と縛られ「朝までおとなしくしていたら命だけは助けてやる」と土手に座らされていました。夜になると墨田区側から叫び声がする。朝になって自警団に連れられ、橋を渡ると両側は同胞の死体の山だったといいます。

その後、千葉県習志野から騎兵連隊が朝鮮人の暴動を信じ、武器を持って出動した。地域に住む浅岡重…

つづきは2020年9月9日号をご覧ください

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