信仰集団「イエスの方舟」責任者 千石まさ子さん(88)

1979~80年に世間をにぎわした信仰集団「イエスの方舟」。千石剛賢氏(1923~2001)が主宰し、家を飛び出した若い女性たちが身を寄せ、警察やメディアを巻き込んで騒動となった。剛賢氏の妻で現在責任者のまさ子さんは40年前の騒動を「親子の改革だった」と振り返る。
岩本浩太郎
1979~80年の騒動を今振り返ってみて、一体何だったのでしょうか。
千石 親子の改革ですね。それまでの親子の在り方から聖書にのっとった形にしたいという願いが根底にありました。聖書には「親は子を怒らせてはならない」とあります。子を刺激してはいけないということです。子どもを正しい意味で方向付けしていたら怒らせることはない。
当時、イエスの方舟に対してなぜ親を悲しませるのかとの批判がありました。
千石 私は子の立場に立ちました。子が家を飛び出し、「死にたい」などと言う。それはとてもおかしいことです。ずっと親のそばにいたいと思うのが自然の情でしょう。だから私は子を守ってあげたいと思いました。
世間と対立した形となってしまった。
千石 誤解を解きたいのはやまやまなんです。でも主人も心臓病の持病があって、それが十分にできなかった。あの時、申し訳ないという気持ちはあった。子どもが聖書を勉強して、自らの人生を完成させた時に必ず親元に帰り親孝行するとの信念がありました。子どもは親不孝をしたのとは違います。
80年7月に逮捕状が出た剛賢氏(後に不起訴)が出頭しようとするのを、信者の女性たちが必死に引き留めようとしますね。
千石 唯一、私たちの側に立って論陣を張ったサンデー毎日さんが困っていらした。サンデー毎日さんの呼び掛けで当時私たちは熱海の旅館にいましたが、そこにこもったままだとサンデー毎日さんが監禁させたことになる。主人も迷惑を掛けたらいけないからと子どもたちを説得したのですが、聞き入れない。そうこうしているうちに主人が心臓病で倒れ、子どもたちが家庭に戻されることになった。
私は迷惑を掛けてまで私たちの主張を貫くことは絶対いけないと思いました。子どもたちには一度家庭に戻って、改めてその後の生き方を考えてほしいと説得しました。
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