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寺社での和婚式を復興した京鐘社長 辻順子さん(77)

ほっとインタビュー2021年5月31日 11時05分
寺社での和婚式を復興した京鐘社長 辻順子さん つじ・じゅんこさん=1944年、滋賀県生まれ。鴨沂学園卒。65年に呉服屋(後の京鐘)に嫁ぎ、83年から貸衣装部門を中心とした京鐘の事業に携わり和婚式復興に取り組む。92年から現職。

結婚式はホテルやチャペルでの挙式が中心だった時代に、寺社での挙式の復興に奮闘し、近年の和婚ブームの火付け役となった。和婚式のプロデュースや衣装のレンタルを手掛ける京鐘の社長を務め、現在は高齢者が健康長寿で人生を楽しめるよう、御寺泉涌寺と共に新たな人生の出発儀式の「算賀の祝」を提唱している。

原田梨里

和婚式の復興に取り組んだ理由は。

 私の実家は、比叡山の阿闍梨様たちが修行したとされる西明禅寺(滋賀県日野町、臨済宗永源寺派)の総代を代々務めてきました。21歳で京都の呉服屋に嫁ぎ、子育てや夫の祖母の介護に専念していましたが、40歳を機に受け身の人生から目標に向かって挑戦する人生を生きたいと、貸衣装部門を中心に事業に携わり始めました。

当時はホテル挙式やチャペル挙式の全盛期。寺社で挙式をする人はほとんどいませんでした。

時代とともに結婚観も変わり、最近はイベントとして捉える傾向がありますが、私は愛情で結ばれる二人が覚悟を決める大切な儀式だと思っています。日本の歴史や文化が息づく寺社でその節目の儀式を行いたいと思い、和婚式の復興に取り組み始めました。

どのようにして寺社との縁を。

 最初に足を運んだのは上賀茂さん(上賀茂神社)です。「全国から京都に挙式者を呼び和婚式を」と伝えたのですが、反応は厳しいものでした。

女性が表に出て仕事をすることが理解される時代でもありませんでしたし、どこの誰かも分からない人間が連れてきた人の結婚式などできないというのが、神社の考え方でした。しかし帰り際に「本当に人を連れてくることができるのか」と呼び止められたのです。挙式したい人を一生懸命探しつなぎました。

年間わずか26組だった挙式は、800組以上にまで増えました。和婚式はあっという間に広がり「小旅行を兼ねて京都で挙式を」という流れが確立されたのです。

念願の復興を果たされたのですね。

 多くの神社とご縁を頂き、様々な挙式を手掛けさせてもらいました。それぞれの神社が維持運営のために多大な努力をされる中で、次第に挙式は経済的な面でもなくてはならない存在になってきたように感じます。

神社によっては1日に十数組の結婚式を行い、1組にかける時間が減っていったり、新郎新婦同士がすれ違ったりすることもありました。私は「挙式者に神社ならではの神聖さや魅力を感じてもらえるように、取り組ま…

つづきは2021年5月19日号をご覧ください

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