プロ野球最年長勝利投手 山本昌さん(56)

日本球界を代表するレジェンド左腕。「中年の星」と呼ばれ、50歳で引退するまで現役で活躍した。32年間投げ続けることができたのは、小さな努力を重ねたからという。トレーニングだけではなく、毎朝の読経や小さなルール。野球にうそをつかず、日常の生活から正していく。活躍の鍵は日々の生活の中にあった。
赤坂史人
219勝という偉大な記録を残しましたが、幼少からご活躍を?
山本 実は小学校、中学校は補欠でした。ただ好きなものを頑張ってやるという気持ちはありましたので、いつもギリギリのところで上に行けたということはありましたね。それから、自分に何が足りないかを見つけることがうまかったのかもしれません。当然、両親に強い体に生んでもらったということもありますし、オタク気質というか、やり始めると根を詰めるタイプなので、それも良かったのかなと思っています。ただ高校からプロに上がった初日のキャンプでは、レベルの違いに衝撃を受けました。それでもプロ野球選手になるのは小さい頃からの夢でしたので、頑張らなきゃと思って続けました。
入団5年目の野球留学が大きかった?
山本 今のように衛星中継があるわけでもなく、日本とアメリカの野球は全然関係ありませんでした。こうした中、(当時の)星野仙一監督に「アメリカでやってこい!」と言われた時はがくぜんとしました。それでも(ドジャースの世話役の)アイク生原さんらに出会えて、知らないうちに変わっていきました。置かれた環境や境遇で頑張るということが大事です。プロ野球はドラフト会議があって選手はチームを選ぶ権利はありません。僕はたまたまドラゴンズだったからこそ、このようになれたと思う。一つチームが変わっていたら全く違った野球人生になった選手もたくさんいると思うんですよね。運とか縁とか、人生は一回しかないので、その中で変わっていくしかないと思っていますね。
日蓮宗の僧侶との出会いも大きく人生を変えた?
山本 日蓮宗のお寺に助けていただいたんです。米国留学の前年で、これが劇的でした。僕はその頃、毎年春先は1軍にいるけど、けがをして、その年は2軍にいるパターンが3、4年目でした。そこではり治療に行くと、必ずいる人がいて、その人が相談に乗ってくれ、お祓いに連れていってくれました。その時に占いをしてくれた(日蓮宗関係の)方が、親戚の中に成仏していない人がいるとの(具体的な死に際…
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