PR
購読試読
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
お位牌Maker
PR
宗教文化講座 翠雲堂

一人で両部曼荼羅を描いた仏画家 染川英輔さん(79)

ほっとインタビュー2022年2月1日 10時44分
一人で両部曼荼羅を描いた仏画家 染川英輔さん そめかわ・えいすけさん=1942年、台北生まれ。東京芸術大を首席で卒業。同大大学院修了。法隆寺金堂壁画再現模写に助手として参加。真言宗智山派三寳寺の地蔵堂壁画「新・六道図」や同派大本山川崎大師平間寺の経蔵天井画「飛天図」を手掛けた。

貧しかった幼少の頃から絵と宗教に救いを求めてきた。東京芸術大卒業後、住職夫妻と出会い、本格的に仏画家としての道を歩み始めた。胎蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅に一人で挑み、18年かけて完成させた。仏画家の大家は自らを仏画に救われた幸せ者だと話す。

甲田貴之

仏画に関心を持ったのはいつからですか。

染川 小学4年生の頃、公務員だった父親が結核で入院し、私が大学院を修了するまで闘病生活を続けていました。生活保護を受けなければならないまで生活は立ち行かなくなりました。そんな時にすがったのが絵を描くことと、宗教でした。宗教は人を救ってくれるらしいと知って、仏教やキリスト教に関する書籍を読み、自分なりに宗教への理解を膨らませていました。そして、私にとって何よりの救いは絵を描くことでした。

高校に進学する経済的余裕がない中、いちるの望みを託し、親戚にはがきを出しました。すると「うちに来るように」との返事をもらいました。その親戚の家から鹿児島玉龍高に進学でき、奨学金やアルバイト代を学費に充てました。

卒業後は生活費のために自衛隊に入隊するつもりでした。しかし、絵を描くことが好きで東京芸術大を受験したかった私に、高校の校長が厚意で受験料や交通費を融通してくれました。思い出受験のつもりでしたが、合格。大学で日本画を学びました。首席で卒業し、日本画家の吉岡堅二先生に声を掛けていただき、法隆寺金堂壁画再現模写に参加しました。

仏画家として歩む転機は。

染川 すぐに画家として生計を立てられたわけではなく、都内の高校で美術の教師として働いていました。長期休暇中は制作に打ち込むことができ、絵の注文も受けていました。ある時、如意輪観音像の依頼を受けました。聞けば、重い病気を患っている依頼主が、僧侶から教わった祈祷を行うために如意輪観音像を掲げたいという話でした。

完成した仏画をその人に納めた後、画像をカレンダーに使用させてもらいました。それが巡り巡って真言宗智山派観蔵院の小峰彌彦住職(現長老)、和子夫人の目に留まりました。

新本堂の建立を進めていた小峰住職はご本尊の横に胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を安置したいと望まれ、私の元にお願いに来られました。仏画は一尊描くのも大変です。奥深さは限りなく、失敗が許されない。中でも曼荼羅と涅槃図は描かないと決めていましたが、小峰住職の「後世に信仰の対象となるものを残…

つづきは2022年1月19日号をご覧ください

障害者も等しく幸せに暮らせる社会を目指す 石川明代さん

障害者も等しく幸せに暮らせる社会を目指す 石川明代さん

4月25日

自らも車椅子生活を送る障害の当事者。障害者の社会参加や多様性に基づく社会の実現のため、持ち前のポジティブさと行動力で取り組んでいる。かつては「神社仏閣は障害者の敵」とされ…

プラチナ・プリントで表現する写真家 井津建郎さん

プラチナ・プリントで表現する写真家 井津建郎さん

3月22日

世界中の聖地を巡り、その地からにじみ出る一滴のエッセンスを求める旅が始まったのは約40年前。現地の緻密な質感、濃密な空気感を、白と黒のトーンが無限とされる写真技法「プラチ…

仏典を専門とする翻訳家 大竹晋さん

仏典を専門とする翻訳家 大竹晋さん

2月28日

伝教大師最澄の1200年大遠忌を迎えた昨年、最澄の確実な著作全てを個人で翻訳し『現代語訳 最澄全集』全4巻として同時刊行する偉業を成し遂げた。大学教師を辞し、在野で仏典の…

いのちを社会で育てる 内密出産と不妊治療

社説5月20日

戦争の愚かさ 時代遅れの悪質なプライド

社説5月18日

介護用品贈与通じ 支え合いの精神広める

社説5月13日
このエントリーをはてなブックマークに追加