博物館からモスクへ トルコ政教関係の修正に波紋
トルコ政府の決定で博物館からモスクに変更された首都イスタンブールのアヤソフィアで7月24日、最初の金曜礼拝が行われた。同国の日刊紙Milliyetは「朝の早い時間から多くの国民がアヤソフィア・モスクの周辺に集まった」と報じた(東京外国語大Web「日本語で読む中東メディア」)。
博物館から宗教施設に復活といえば、文化大革命後、一部が博物館になっていた中国・開封の大相国寺が思い起こされる。30年近く前の話だが、来日した趙樸初・中国仏教協会会長(当時)が歓迎会の席上、誇らしげに報告した。しかし、アヤソフィアのモスクとしての再生は、国家と宗教の危うい関係という観点で、本欄で紹介されたロシア・モスクワのロシア軍大聖堂建設という最近の事例と比較した方がいいだろう。
アヤソフィアはよく知られているとおり、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルにキリスト教の大聖堂として建立され、1453年、オスマン帝国の征服でイスラームのモスクに変えられた。モスクとしての歴史は、第1次世界大戦でオスマン帝国が滅び、世俗主義的なトルコ共和国が成立するまで続いた。
トルコはイスラーム圏で初めて政教分離を採用した国で、建国の英雄ケマル・アタチュルク(初代大統領)によって国家の非宗教化が徹底された(小泉洋一「トルコ憲法の宗教条項」『甲南法学』)。アヤソフィアの博物館化もその一環で、1934年、モスクとしての5世紀近い歴史をひとまず閉じた。
エルドアン大統領による86年ぶりのモスク復活決定には、欧米や隣国ギリシャなどから「異文化共存の象徴」としてのアヤソフィアを政治利用し、宗教対立をあおる、と強い批判が向けられた。
東京外大上記サイトによると、24日の礼拝で政府の宗務庁長官が刀を手に説教壇に上がった。これに対し、オスマン帝国時代への回帰を意味し、アタチュルクの「国に平和を、世界に平和を」という言葉に反するという反発もトルコ国内のメディアに現れている。欧米の言説に含まれる政治・宗教的な偏向も気になるが、トルコ国内には世俗主義を巡る長いせめぎ合いがあり、今後は対立、分断が広がることが懸念される。
国家と宗教の政教関係はこのトルコの例や、中国の「宗教と和諧」政策などを見るまでもなく、その変化による影響は大きい。私たちも信教の自由、政教分離に関する日本国憲法の規定の意味を深く意識し、政教関係の歪曲に至るような逸脱は常に警戒したい。