新自由主義の限界 新たな感染症の時代に生きる
「withコロナ」という言葉が盛んに使われるが、様々な意味が込められていて混乱する。まず、これは短期で過ぎ去る一時的災害とは思わない方がよい。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)だけでも2年以上はかかるだろうと予想する医学者、生命科学者が多い。ワクチンに過大な期待はかけられない。我慢の時期が長く続く、ということだ。
だが、COVID-19の脅威が遠のいても次の感染症の脅威がやって来る。グローバル化と環境破壊が新たな感染症の続発を招く。ハンセン病や結核、天然痘などは近代医学が克服し、人類は感染症に勝利した――そう考えていたが誤りだった。この捉え方だと「withコロナ」というより「新たな感染症の時代」と捉えた方が適切だ。
「withコロナ」というと「新しい生活様式」だなと思う人も多いだろう。3密を避ける。オンラインでできることを増やす。急速にデジタル化が進み、宗教もそれに慣れていく必要がある――これは持続的な変化なのか、「afterコロナ」までの仮のことか、という問題がある。生身で会えない寂しさや痛みについてどこまで深く考えるかということでもある。
さらに、「withコロナ」は「経済を回す」ことと「感染症からいのちを守る」ことのバランスの問題だ、と考える人もいる。世界各地で普段の生活の継続を優先しようとする指導者が現れ、一定の人気を得た。他方、それによって感染症の拡大を招き多くの人命が失われ、後遺症に苦しむ人が出たとの批判もある。「withコロナ」という言葉が「経済重視」の意味で用いられることもある。
だが、ここで考えるべきは、医療や公衆衛生の充実と、経済成長重視は天秤にかけられるべきなのか、ということだ。レーガン、サッチャーの時代から新自由主義がグローバル経済の正統思想になり、医療・公衆衛生・教育・福祉のような社会インフラに費用をかけない「小さな政府」が唱えられた。市場経済の活性化、経済成長が第一という考え方で、社会インフラが弱まり格差拡大を招いた。
COVID-19で新自由主義的な社会政策の弱点があらわになった――これが世界的に優勢な捉え方だが、米国・ブラジルなどの政治指導者はこれに逆らって医療・介護従事者の訴えに耳を傾けず、あえてマスクを着けないなどの「賭け」に手を貸す。「いのちを尊ぶ」政治こそが、長期的な経済的安定をもたらすはずだ。日本の政治家やメディアが「withコロナ」という言葉を捉え損ねて、政治的ギャンブルに追随しないことを願う。