仏教と女性 尼門跡寺院の伝統を生かす道
菅義偉内閣の女性閣僚が少ないと話題だが、仏教界でも男女平等の理念は常に問われる。8月25日に開かれた全日本仏教会の公開ウェブシンポジウム「現代社会における仏教の平等性とは」は政府が提唱する男女共同参画社会を意識した内容だったようだ。
元厚生労働事務次官の村木厚子氏は、一般論として「女性自身が管理職に就きたがらないことや無意識の差別が活躍の壁となっている」と述べた(本紙9月2日付)。「無意識の差別の壁」は仏教界にも当てはまる指摘だろう。
女性の進出を阻む制度上の壁を取り払う努力は、伝統仏教ではあまり目に見える成果を挙げていない。無意識の差別、「古格慣例」など伝統の縛りは紛れもなく残っている。ただ、変化の兆しはあると信じたい。
例えば近代の宗門では、後継の男性寺族がいない寺で、寺族女性が結婚し配偶者が住職になる形が一般的だったが、最近は結婚した寺族女性自らが住職になる話も時折聞く。宗門のあらゆる領域で男女平等が語られるまでには様々な障壁があるとはいえ、現在進行中の社会の変化はその克服を後押しするだろう。
一方で、女性と仏教の歴史を語る場合に目が向けられる尼僧寺院は、後継者難が深刻なようだ。独身女性が出家剃髪し住職となるような寺庵が成立し、存続してきた社会的基盤が失われつつあるのが最大の理由。全日本仏教尼僧法団に所属する尼僧の数も減少している。尼僧老師がいた京都の臨済宗の旧尼衆専門道場が、30年ほど前に男僧が住職を務める一般寺院になったのは象徴的だ。伝統ある尼門跡寺院でも後継者問題が混迷に陥っている例もある。
尼門跡寺院は皇女や公武の権門の女性が門主として入った時代から、古格慣例に従って後継者が決められた。戦後、皇室の在り方が変わり、華族制度が廃止され、多くの場合、内実を失った古格慣例という言葉だけが生き残った感が拭えない。
尼門跡寺院を研究する国際日本文化研究センター名誉教授のパトリシア・フィスター氏は本紙に寄せた「鎌倉期の特筆すべき尼僧」(8月28日付「論」)で、「文化の象徴としての尼門跡寺院が、この時代に消滅してしまえば永遠に失われてしまう」と論じているが、杞憂とはいえない。
仏教界における女性進出の流れの中で尼僧寺院、尼門跡寺院がその伝統を積極的に生かす道はないのだろうか。寺格の高さではなく、主宰者の志の高さ、道心こそが尼門跡寺院の伝統を救うだろう。