専制と民主主義 コミュニケーションの意味
コミュニケーションは一般に意思を通じ合って合意を形成する過程、最も重要な社会的営為の一つと理解されている。しかし語源であるラテン語のコムニカチオにはさらに深い含意があった。
ラテン語でコムニオは共同体のことだが、その語幹ムーヌスは社会の軸となる相互関係のこと。例えば古代ローマでは、自分を執政官と認めてくれた民衆の「恩恵」に対し、執政官は善き行政を行う「義務」があり、このような相互関係がムーヌスと呼ばれた。従ってムーヌスは義務と恩恵という一見矛盾した意味を持つことになる。さらにこの関係は単なる法的関係ではない好意によって支えられるものでもあった。
内容は違うけれども、我が国の封建制度下では、主君が家臣に土地を与え、家臣は報恩として奉公の義務を負ったのに似ている。君臣関係には相互の情愛と信頼が含まれていた点も同様である。
語幹ムーヌスから作られた語コムニオは、社会の中軸となるムーヌスを共有する人々の集団、つまり共同体のことであり、コムニカチオは共同体形成と維持という意味を持っていた。後代になると共同体形成行為の主たるものとして言葉による意思疎通と合意形成がコミュニケーションと呼ばれるようになった。
実際、言語の使用には様々な局面があるが、社会の形成と維持に不可欠であることは論をまたない。秩序を形成し維持するためには、社会生活のあらゆる局面で合意をつくりそれを守ることが求められる。そしてしかるべき合意を形成するためには言葉による意思の疎通、つまり問題の状況を正しく認識して説明し、理解納得を求める作業が不可欠である。
そもそも民主主義は、問題に対処するに当たって、社会を構成する諸集団(代表)が問題の所在と内容を正しく述べ、原因を説明し合い、それぞれ解決の仕方を公にして、その中から最も説得力のある見解が採用されるという制度である。最大の利益集団が支配するというシステムではない。それに対して専制とは支配者が民衆になんら説明を与えることなく、文句を言わずに黙って従えと力で押し切る行政のことである。
最近我が国では政府が野党の質問に対して答えない例が目立つ。説明を求めても拒む。事実はこうではないのかと迫られても、それを認めなければ事実はなかったことになると考えているようだ。これは国会運営の技術の問題ではない。民主的社会をしかるべく形成維持するコミュニケーションの拒否だとされても仕方がない。