家族の絆 古くて新しい檀家の課題
11月22日はいい夫婦の日だった。コロナ禍で迎えた今年、在宅勤務でお互いに家にいることが多くなり、コミュニケーションや会話の機会が増えた。そのため、夫婦の仲が「良くなった」と答えた人が「悪くなった」の3倍を超えたという。それは結構なことだが、しかし「悪くなった」中には深刻なケースもあるだろう。
実際、コロナ問題により生活不安やストレスが重なって、家庭内暴力の相談件数が1・6倍に増えたという報告もある。良くもあしくも家族が一つ屋根の下で向き合う関係が問われているのである。
その一方で、若い世代では家庭を築けない人が近年とみに増加している。結婚や異性との交際をしていない人の割合は男性が約51%、女性が約41%である。この20年余りの間で男性は10ポイント以上上昇し、女性は1・5倍に増えたという。気になるのは、異性との交際を望んでいない人の中で、収入が低い人や非正規雇用者らにそうした傾向が強いということだ。これも深刻な問題である。
仏教では「檀家」というくらいだから、寺院が檀信徒をケアする単位は「家」である。伝統仏教だけではなく、仏教系新宗教も信者数を世帯単位で数えている。ここでいう家とは、家制度ではなく家族・家庭のことを指す。日本では宗門・教団を護持するのが信者家庭であり、またその信者家庭を丸ごとケアするのが個々の寺院・教会の役割である。その意味で、仏教は家を守る宗教と言っても、決して言い過ぎではないだろう。
今、家族が危機に瀕している。家族の絆は古くて新しい問題である。絆は「ほだし」とも読み、拘束や縛りという意味でもあった。東日本大震災以降は絆はポジティブな意味で使われ、喧伝されてきたが、コロナ禍の下、今度は一転して社会的距離を取れという。家族とは、気が付いた時にはすでにいや応なく結び付いた関係にある。それは一歩誤ると怨憎会苦の修羅場にもなり得る。その一方で、家族を形成できず“孤族”化する若い世代の存在は、無縁社会の予備軍である。
家族をつくるのにも家族を維持するのにも、人間関係のスキルを養うことが必要である。その場合、仏教には智慧と慈悲の教えによる対応が可能だ。それぞれ家族の事情も異なるだろうが、だからこそ対機説法の要領で臨機応変に対応できるのが仏教の強みである。「檀家」という形で檀信徒の家族を見守り、世話していくという基本線からぶれないことが、コロナ禍の時代の仏教に求められる。