困難な立場への共感 ケアし合う関係こそ力
新型コロナウイルス感染症による死者はますます増大している。高齢者と基礎疾患を持つ人たちの死亡が多いが、各国で外国人労働者や移民・難民が苦しんでいることも報道されている。スウェーデン、イギリス、シンガポール、カタールなどだ。移民はエッセンシャル・ワーカーと呼ばれるような職種に就いていることが多い。外国人労働者の場合、労働環境とともに居住環境が悪い。つまり狭い所で多くの人が共住しているために感染しやすいのだという。
社会全体が困難を抱えるようになった当初は、全ての人々が共に困難を忍び負担を負うという緊張感がいき渡った。医療介護従事者やエッセンシャル・ワーカーに対する感謝と声援の声も多く聞こえ、連帯して共に苦難に立ち向かう気持ちが共有された。ところが感染症による苦難が長引くと、連帯だけでは困難が克服できない疲労感もあり、自らを守る方に気持ちが移っていく傾向が見られる。助け合うという気持ちが次第に薄れているように感じる。
災害の起こったすぐ後には、助け合いの気持ちが広がるが、なかなか長続きしない。これは10年前の東日本大震災や福島原発事故でも経験したことだ。だが、東日本大震災の場合、少なくとも3年ほどは共感の気持ちが表明されることが多く、現地に支援活動に赴く人も多かった。宗教界は災害支援の取り組みに、新たな宗教性の発露の形を見いだし、臨床宗教師への取り組みも進むようになった。
ところが、新型コロナウイルス感染症では支援活動が難しい。苦難を思い、心を寄せるべき相手が分からず、また、近くへ行きにくい。高齢者や基礎疾患を持つ人たち、移民や外国人労働者がどのように苦難を忍んでいるか、どうすれば支援できるかが見えにくい。
社会経済的な面での困難はどうか。女性の自殺者が増えており、非正規雇用者や飲食店等、零細な事業の従業員が失業や貧困にあえいでいるとされる。だが、その現実も見えにくい。自らの身を守り、新しい生活様式に適応するだけで息切れしてしまう。例えば、オンラインでの宗教活動に慣れていくことに関心が向かいがちだ。
しかし今後、次第に対面の活動ができるようになると再び、困難な場に置かれがちな人たちへの支援活動が活発化してくるだろう。コロナ禍を通じ、社会的弱者の立場を自らのこととしてケアし合う意義を人々は強く認識するようになっている。また、ケアし合う関係こそが力になると感じ取っている。宗教活動もそこへの関わりを強めていくことになるだろう。