東日本大震災から10年 人々の苦難に「節目」はない
仙台市東部沿岸の荒浜は、雄大な砂浜から太平洋の美しい初日の出が毎年のように望める。東日本大震災で沿岸地区一帯が壊滅し、自宅の廃虚を訪れた住民が残された一枚の家族写真を見て感動する姿に、地元の写真家・佐藤豊さん(83)は「思い出」の大切さを実感した。そして震災後の正月や様々な年中行事、人々の生活を撮影する。「津波で人も家も何もかも持って行かれ、瓦礫撤去の必要さえないほどだった。残ったのは思い出だけ。だからこれからは楽しい思い出ばかりを撮り続けたい」と。
同市内ではNPO法人と市が共催で「思い出の品返却会」を各地で開いており、拾得収集された写真やいろんな品物を展示して持ち主に返す催しを続けている。また市民団体や民話採訪家が協力して、震災で「忘れられない」「忘れたくない」事を綴った手記を広く募集している。体験や現在の心境を聞くラジオ番組もあり、消え去った故郷の光景を再現する聞き取り記録の出版も相次ぐ。
一方で、死者への弔い、生きた証しを残す活動やコロナ禍の中でもしっかり追悼行事を途絶えさせない動きも見える。思い出から災害の教訓を引き出し、将来の防災につなげる試みも多い。
震災と原発の重大事故という空前の災禍から今年で10年。被災地では三陸沿岸道路などハード面の復興はそれなりに進んだものの、被災者の生活はまだ安定せず、災害公営住宅は家賃が高くて敬遠される上にコミュニティーが崩壊し孤立死も相次ぐ。原発事故で避難を強いられる被害者はなお数万人に及ぶ。だが、国の復興交付金は今年度で廃止され、政府主催の震災追悼式も今年で打ち切られる。昨年1月に当時の菅義偉官房長官が「一つの節目」と表明した。
しかし、何年経っても人々の苦悩、犠牲者への追慕の念や失われた故郷への思いは決して消えることはない。佐藤さんは「家族を亡くした方には掛ける言葉もない」と心を痛めつつ、居住禁止となった自宅近くに住民たちがつくった「海辺の図書館」で、「希望のために」と懐かしい町の風景も含めた写真展示を続けている。
この10年、日本宗教界も慰霊や組織だった支援など様々な対応を繰り広げてきた。人間にとっての自然災害の意味するところや原発の問題点についても考えを深めたはずだ。それを今、改めて目に見える行いに結び付けることが求められる。
悠久の年月を視野に入れ、未来に向かって人々の思いを受け止め続けるべき宗教にとって、10年は「節目」でも何でもない。