コロナ禍の課題 宗教の価値を説くべき時
2020年を揺るがした出来事は、何といっても新型コロナウイルスの世界的大流行である。我が国では、政府の場当たり的な対応に振り回されてきた一年でもあった。GoToトラベルを巡る推進や中止のドタバタはお粗末極まりなく、また失業や生活苦のため自殺者が急増し、これが福祉国家かと言うべき由々しき事態だ。
年末に入り、ようやくワクチンの実用化に目途が立ち、接種が開始された国もある。新しい年を迎えても、ウイズコロナの現実は変わらず、引き続き油断は厳禁だが、アフターコロナの兆候には素直に期待を表明したい。
仏教界・宗教界もまた、時ならぬコロナ禍に直面し、右往左往しながらも対応してきた。本紙においても、毎号のように寺院や教会での取り組み事例を掲載し、また社説や論などでこの疫災を巡る諸問題を多角的に取り上げた。そこから、アフターコロナ時代における宗教の課題と展望が見えてきたように思う。最大公約数的にまとめれば、次のように言えるのではないか。
①アフターコロナにあっても、不特定多数で集まる法会や礼拝は困難になるだろう。宗門や教団の運営には抜本的な組み直しが不可欠だ。宗教は、どこまでも信者目線に立ち、日常生活の中で信仰・信心を育んでもらうよう努めるべきである。
②コロナ禍の中で、この世の苦の現場はいっそう先鋭化してきた。孤立無援の人々の姿が見えにくくなりつつある中、宗教は世の中の動きに今以上に敏感でなければならない。そして人々の苦に真っ直ぐに向き合い、きめ細かく対応していくことが求められる。
③この疫災はなにゆえに起こったのか、また苦難の中を心倒さずに生きる意味はどこにあるのか、人々は答えを求めている。これに対して、神仏の教えから語れるのは宗教者しかいない。今こそ、人々の心に届く言葉で語り、宗教の価値を説いていくチャンスだ。
④ウイルスについては未知の部分が多く、専門家の意見もまちまちである。それだけに、宗教者においても偽情報に惑わされない情報リテラシー、また最小限の科学リテラシーが欠かせない。それだけでなく、適切な社会的発信をしていくことも期待されよう。
これらは、いずれも宗教が取り組んできた課題ばかりだといってよい。それがコロナ禍を通じて炙り出されてきたのである。いま一度、教化と救済の原点に立ち返るならば、アフターコロナ時代の宗教は、また新たな社会的地歩を築いていくことができるだろう。