緊急事態宣言再び 宗教界からのメッセージ
新型コロナ感染症の爆発的拡大に伴い、東京、神奈川、千葉、埼玉の4都県を対象に7日、特別措置法に基づく緊急事態宣言が発出された。政府が警戒緩和の大旗を振ったGoToトラベルキャンペーンが昨年12月28日に「全国一斉停止」になって、わずか10日である。
大阪、京都、兵庫の3府県もそれに続き宣言を政府に要請。13日には発出される、と伝えられている。緊急事態宣言の範囲はさらに広がりそうだ。GoToという経済活動加速のメッセージから、百八十度方向が異なる緊急事態宣言へと国民は翻弄された。
感染防止と経済活動維持というブレーキとアクセルの使い分けと調整は容易ではない。ただ、そこで用いたのがGoToキャンペーンだったことは疑問が残る。GoToキャンペーンの恩恵を受けたという声や復活の期待も聞くが、制度内容や起案者側の強い意向を受けた前のめりの運用からは、コロナ禍を国民全体の苦難と捉え、それを何とか克服しようとする政治的な強い志が伝わってこない。
何より、GoToという緩和の方向性を強く示す国からのメッセージは、緊急事態宣言による社会の緊張感を打ち消す広告作用が強過ぎた。感染が小康状態を保った時、幅広い経済活動を守るために税金を使うなら、社会的にもっと公平感がある(GoToキャンペーン以外の)別の効果的な方式を考えてもらいたい。
今回の緊急事態宣言下の対策は経済優先の印象を与え、及び腰、中途半端の批判を免れない内容で、1回目の宣言と同じ効果は望めない。政府のコロナ禍に関する「メッセージ」は不安定で、国民をミスリードするところがある。
では、宗教界からの呼び掛けはどうか。宗派、宗教団体が発表した声明などが社会的に注目されることはあまりなかったが、檀徒、信者には届いたか、どのように受け止められてきたか、検証してみる必要はあるだろう。
もちろん語られた言葉や文章が与える効果だけではない。例えば初詣や参拝の迎え入れ、法要・祭儀の執行など、それぞれの寺社が示した様々な心配りも、参拝者の心に体験を通したある種のメッセージとして伝わったはずだ。
法要・祭儀の本質を守る努力、感染の危険を排する細心の工夫によって、地域に根差した伝統が維持される姿はメディアでも報道され、広く社会にも一定の安心感を与える。新型コロナ感染症を正しく恐れ、明日への希望を見失わないというメッセージを、宗教界が揺るがずに発信する意義は指摘しておきたい。