見える構造的課題 社会参画型仏教の現況から
日本におけるエンゲイジドブッディズムの現況とその課題を論議するオンラインシンポジウムが先般行われた。仏教者による社会参画の多くの具体例から、日本社会で仏教の底力が求められていることが改めて浮かび上がった。
病院でのチャプレンの経験を経て大阪の自坊で訪問看護ステーション事業を運営する住職は、超々高齢化と人口減という情勢分析に基づき、寺を核にNPOや行政、医療・福祉機関と連携した活動を紹介した。「価値観の多様化で、生きるとは、自分のルーツはといった宗教的ニーズが高まる」と僧侶としてそれをする姿勢を明確化し、「寺の公共性を示すメッセージでもある」とした点が重要だ。
路上生活者への配食支援などを続ける東京の住職は、日本では生活保護を必要とする人が現実には全体の2割しか受給できていないという行政対応の不十分さを指摘。社会に、自助努力を強要し受給を恥とするようなネガティブな文化があることを問題視した。
コロナ禍で掛け持ちしていたパートの職を失い、食料配給に並ぶ女性が「子供の食費がない」と訴えるなど“見えない貧困者”が多い実態を挙げ、「より良い社会にする」との姿勢が明確だ。具体策として困窮予備軍になる子供の貧困問題に対処する子ども食堂や居場所づくりなどを示し、「互いに支え合う縁」という仏教的根拠を鮮明にするのが注目された。
和歌山の山間部の寺院で過疎対策に多彩な企画を続ける女性僧侶は、有機農業など「自らの欲を見つめ消費と行動に責任を持つ」「他者への慈悲」という仏教的理念で株式会社を経営。若者が敬遠する過疎化の背景を「合理性、均一性、集約性を重視する資本主義の価値観」と分析した上で、「そのような価値を重視する限り問題は解決しない」と産業構造の変革を強調する。寄付と結び付けた会社事業を展開する住職も「持てる者が幸せという資本主義社会ではなく、奪い合いより分かち合いを」と応じ、全体として個別課題に向き合った先に社会変革の必要性が見えてくる実情が浮き彫りになった。
プログラム構成で自死やジェンダー問題が「個人的苦しみ」と分類されていたのは疑問だが、それらに実際に取り組む仏教者らは「個人が自死に追い込まれるのは社会的要因があるから」「社会の多くの機関、政財界や司法そして各教団でも意思決定に関わる女性が少ない」と構造的問題に言及した。ある住職の「ただ寺を開いていたら困っている人が来る状況ではない」の言葉に時代社会への感受性と仏教的熱意が見て取れた。