阪神淡路27回忌 未来に語り継ぐ課題
1995年1月17日の阪神・淡路大震災から26年がたった。仏教では二十七回忌に当たる節目だが、今年はコロナ禍の下、特別の年回忌になった。
時の経過とともに記憶は自然と薄れる。日本を破滅へと追いやったあの戦争ですら、わずか11年後には、経済の安定的発展を背景に「もはや戦後ではない」(1956年度『経済白書』)と語られた。むろん戦争の記憶が消え去るわけではないが、市民の意識のベクトルは昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長の時代へ向けて(そしてバブル崩壊に至るまで)、確かに変わっていったと言えるだろう。
では、阪神・淡路大震災はどうか。現地にいた人にとって、地震発生直後の神戸の情景は、26年前の記憶の中で今も鮮明な映像としてよみがえるだろう。被災地で見知った人々の表情、語り合った言葉も、時間を超えて生々しく記憶として再生される。
むろんこれは震災に何らかの形で関わった体験者の事情である。若い社会人や大学生以下の世代はもはや阪神・淡路大震災を直接には知らない。ただし、阪神・淡路以後、若い世代も含め私たちは多くの経験、見聞を共有してきた。
オウム真理教地下鉄サリン事件は同じ年の3月20日だったが、2001年9月11日にはアメリカ同時テロが起きた。11年3月11日の東日本大震災、トランプ氏の政治が象徴する深刻な社会の「分断」、今も続く新型コロナウイルス感染症をはじめ、私たち自身の生き方や世界の見方までが問われた事件、災害など、この四半世紀の出来事は枚挙にいとまがない。
その中で、阪神・淡路大震災をきっかけとして1995年が「ボランティア元年」と呼ばれるようになったことに、ある希望を示す特別の意味を見いだす考え方ができるだろう。阪神・淡路大震災は「もはや26年」の過去ではない。共助の精神に関して今につながる重要な起点なのだ、と。
今年の1・17慰霊法要は、新型コロナウイルス感染症対策で、内容も一部変更して行われた。特に、主な被災地だった兵庫県が感染者の増加で緊急事態宣言の対象となったこともあり、法要・行事の参加者数が制限され、追悼の式としては寂しいものであったのは否めない。
コロナ禍によって犠牲者追悼の特別の年になったが、これを記憶の風化のきっかけにしてはならない。阪神・淡路大震災の体験をどのように語り継ぎ、次世代に伝えるかは宗教者にとっての大きな課題として残された。