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問われる祈りの真価 「共苦」の寄り添いこそ

2021年3月10日 11時20分

多くの犠牲者を出した東日本大震災から10年。11日の命日を中心に各地で慰霊・追悼行事が行われ様々に「祈り」が捧げられるが、復興途上で今なお人々が悲嘆と苦難にあえぐ中で、宗教者のその祈りの真価が問われる。

被災地では犠牲者のためにこの10年間、絶えず祈りを続ける宗教者が多い。例えば、多くの児童・教職員が亡くなり行方不明の子供もいる宮城県石巻市の大川小の廃虚では、地元の浄土宗寺院の住職が折々に読経に通う。住職は「供養して何かが変わるわけではないが、亡くなった子供たちやご遺族のことを思うと続けざるを得ない。体が動く限り続ける」と言う。住職は、今も現場で我が子の遺体を捜し続ける母親を手伝いもし、校門前で遺族の悲嘆を背負って合掌するその姿は確実に、我が子を失った親たちの支えになっている。

祈りで死者や行方不明者が戻ってくることはない。だが、そこに何らかの意味と力がある。一方で「祈りの力は、その宗教者の日頃の行いにかかっている」との声も強い。震災直後、普段は社会の苦の現場に関わることをしてこなかった宗教者が被災地を訪れ、儀礼としての祈りをする姿を見せても、困窮する被災者への現実的寄り添いが伴わなければ、必ずしも受け入れられなかった。

宗教者らの論議では「祈ることこそ宗教者の本分」「祈りさえしておればいい」ではなく「祈りもできる」ということだとの視点が強調されたが、その内実はどのようなものか。震災発生直後、ある遺体安置所を訪れた僧侶が赤ん坊の遺体を抱きかかえ放心状態の母親に読経を依頼されたが、涙で声も出せずひたすら合掌して一緒に祈った。すると母親がようやく落ち着きを見せたことに、僧侶は「祈りの力」を感じたという。

それは「念力」とか「神秘的な力」ではない。絶望的な悲しみの前で一緒に涙する、共に「弱い者」として苦悩を共有する「共苦」にほかならない。力はないが何か人間を超えた大きなものの前で祈ることでひたすら苦を共にする、その心が「私もここにいていい」と母親に伝わったのだろう。

福島で支援を続ける宗教者は語る。「祈りで空腹が満たされることも問題が解決することもない。でも人は抗えない理不尽さに直面した時、『祈る』行為によって自分自身を見つめ他者の痛みを感じることができるようになる」と。この共苦と、そして悲嘆の底にある人に高みからの形式的姿勢ではなく実際に寄り添う行いをしてこそ祈りが本物になるのだろう。

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