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差別と区別 全てを超える人格の尊厳

2021年3月17日 11時11分

差別に関する議論が盛んである。発端は森喜朗氏の「女性が多いと会議が長くなる」という発言で、これが女性蔑視と見なされた。このような場合、まずは事実が問題で、次にその評価が問われる。確かに発言で会議を長引かせる人はいるけれども、それは女性とは限らないし、特に女性に多いとも思えない。また会議が長引くことが悪いとは限らない。

会議は短いほど良いというのは、会議など形だけにしてさっさと原案を通そうという主催者側の意図が見え透いて、感心できない。必要な議論は時間をかけてでも尽くすべきだ。不必要な発言なら議長が制止すればよいので、あの人たちはうるさいから会議に出すなというのは公正ではない。森氏は発言を撤回して謝罪したのだが、問題の発言は不当だったし差別的でもあった。

ところで差別とはいかなることか。差別があるのは事実であり、性差別、民族差別、宗教差別、階層差別、身障者差別、老人差別など様々で、差別の内容は地位だけではなく、教育、結婚、職業、交友、住居、公共施設の使用などにも及び得る。共通するのは、差別する側が、特定の人たちを類別して命名し、そこに属する人を、おしなべて劣等と価値付け、さらにその価値付けに従って不当に扱うことである。

第二に、価値付けの内容は能力が低い、不道徳、反社会的、不潔などと様々だが、価値付けについて一般に指摘されるのは、それが事実に反すること、また価値付けの基準にしても、差別する側に都合の良い基準ばかりが選ばれていることだ。その根元には、自分たちは他の人たちと比べて優れていると思いたがる、それこそ不当な心理がある。

問題は、「私は男だからいかなる女よりも優れている」とか、「この民族に属している私は、他のいかなる民族に属している人より優れている」と信じて、優越感や支配欲を正当化する人が実際にいることだ。その確信を放棄させるのは容易ではない。

さて、差別の底には区別があり、区別は必ずしも不当ではない。男性と女性の違いに基づく区別、例えば服装が異なるのは差別ではない。しかし区別は差別を招きやすい。他方、区別を超えることがある。人格の尊厳には老若男女その他の区別はない。あらゆる区別を超えた人格の尊厳への感覚がなければ、差別は禁止しても陰に籠もって悪質になるだけだ。

文化は価値の区別を立てるが、人格の無条件の尊厳を明示するのは宗教の役目であるはずだ。

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