格差を埋める できる人が近づく努力を
ITは現代社会に欠かせない情報技術である。スマートフォンは小学生から高齢者まで幅広く普及し、政府の情報発信や行政サービスにもスマートフォンの利用者に優位性が認められる。宗教活動の現場でもインターネットの活用は日常化している。そうした現実に付いていけない人たちは、置き去りにされるしかないのだろうか。
コンピューター技術を使いこなせない人たちは「デジタル難民」と呼ばれ、情報格差(デジタルデバイド)を埋めることは現代社会の大きな課題の一つといわれている。問題を考える上で、デジタル技術を駆使した新型コロナウイルス対策で注目される台湾のIT担当大臣・唐鳳(オードリー・タン)氏の発言は示唆に富んでいる。
タン氏は「デジタル・ファースト」、つまりデジタル技術ありきでは課題は解決しないという。できない人ができる人に合わせるのではなく、できる人ができない人に近づく努力をすることを重視する。IT社会は高齢者に馴染まないのではない。高齢者が不便を感じるのは、プログラムや端末の使い勝手が悪いからであり、その格差はプログラムの書き換えや端末の改良によって超えられる。格差を埋めるためには、互いに歩み寄る姿勢が必要ということだ。
台湾では若者(青)と高齢者(銀)が互いに学び合い、共同でイノベーション(変革)を起こす「青銀共創」という試みが盛んだという。高齢者は若者からデジタル社会の現実や技術を学び、若者は高齢者から人生の経験や知恵を学ぶ。互いに分かり合おうとするところにイノベーションが起こるという考え方である。
大事なポイントは、デジタル技術を社会のイノベーションに寄与するツール(道具)と捉えていることであり、国民一人一人が共に社会や政治を考え、開かれた政府を実現する基礎になる技術だと明確に認識している点にある。
誰も置き去りにしないという考え方、デジタル難民を発生させない決意を具体的に実践することは容易ではないだろう。それでも国や社会の運営を担う側に立つ者、指導的な立場にある者が、社会の様々な格差を埋める努力をする意味は大きい。
このことは宗教界にも言える。ITを新しい時代の布教ツールとして多用すれば、新しい世代との接点を増やす効果が期待できる。しかし万人に向けて発信する側に立つ宗教者は、技術の進展に付いていけない世代の檀信徒や氏子がいる現実から目をそらしてはならないだろう。