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電子媒体と紙媒体 教えは自ら体現してこそ

2021年7月2日 15時21分

書籍の電子媒体についての議論は、これまで様々になされてきた。しかし今や、電車内で多くの乗客が見ているのは、スマートフォンやタブレットという時代だ。情報処理を効率よく行うのには、電子媒体が確実に向いている。この流れの中、デジタル教科書が2024年に本格導入される見通しである。

教科書がデジタルだと、拡大や縮小も自在、また画面に書き込んだり、時には自分から発信をすることも可能である。でも、繰り返し読んで、本の内容を自分の知識として定着させるためには、紙媒体の教科書の方がずっと良い。

「韋編三絶」という言葉がある。綴じた革紐が3度も切れるくらい、繰り返し本を読むという意味だ。書かれた内容が自らの血となり肉となるためには、本来そのくらいの努力が必要なのである。しかし昨今のように、絶えず更新され蓄積される情報を追い掛けるばかりでは、そのような根気の要る読書はなかなか困難であろう。

電子媒体の耐久性という問題もある。保管状態などにもよるが、データ保存が安全にできるのはUSBメモリが5~10年、CDやDVDで30年程度といわれる。紙はそれとは違い、100年以上は持つ。中でも寿命が長いのが和紙であり、正倉院文書などは1200年の歳月を超えて今日まで伝えられてきた。

だが、時間の長短こそあれ“無常”であることは紙媒体も電子媒体も変わらない。時代の有為転変の中、今までにどれほど貴重な書籍が失われただろうか。その変遷の中を、心ある人々が何十世代にもわたって本を読み継いできた。そうした本の代表格が、神仏の言葉を記した経典や聖書であった。宗教者たちはそのようにして、これら聖典類を読み継ぎ、そして書物に書かれた教えを文字通り自らの血肉としてきたのである。これを成し得た宗教者は教えを体現して、信仰にも筋金が入り、これほど勁い存在はない。

聖書や経典も、近年電子媒体化が進んだ。検索機能を使えば、読みたい箇所、講話や説教で使える箇所をすぐに見つけることができる。しかし、これに頼り過ぎると、繰り返し読んで玩味することがおろそかになる恐れがある。

人もまた無常なる世の中に生きている。教えのメモリがその人において持つのは生きている間だけにすぎない。宗教の教えは宗教者において体現されてこそ、人々に伝わっていくものだ。そこに、宗教者が生身の人として教えを自らの血肉とすべく、繰り返し聖典を読み、誦していく意義がある。

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