宗派帰属意識 教団の可能性を阻む無関心
各宗派で秋の宗議会が開かれ、コロナ禍による教化活動・伝統行事などへの深刻な影響、悪化する宗門経営等が議題となったが、その中で特に気になる話があった。
真宗大谷派の宗会臨時会(14、15日)で新たに就任した木越渉宗務総長が「特に若い僧侶が宗務への興味をなくしている」と懸念を語ったという。宗門関係者の宗派への帰属意識の低下が伝統仏教教団に共通して見られる、とも指摘した(本紙20日付)。
同派では9月に宗議会議員選挙が全65議席無投票で確定した。候補者の競合がなかったのはここ半世紀で初。その際にも「宗政に対する近年の関心の低下」が語られていた(同9月8日付)。国政と違って無投票当選が多いのが宗門関係の選挙の通例だが、「半世紀ぶり」は宗政離れを改めて感じさせるものだったのだろう。
木越氏の指摘通り、「宗派帰属意識」の低下は各教団で多かれ少なかれ進んでいるようである。独自の宗教活動を展開する僧侶の一部には、「宗門に期待しない」と発言する人もいる。
なぜこのようになったのか。一つは、組織としての宗門が時代の変化に追い付けていない、ということがあるだろう。他方で、宗派の垣根を越えた横のつながりが、様々なところで有効に働き始めている。超宗派の協働は今後様々な分野で求められるであろうし、そこでは宗旨の違いはさほど大きな意味がなくなるかもしれない。また、檀信徒自身がどの宗派、寺に属しているかということは、現実の社会関係(利害)と関わる部分が徐々に少なくなってきている。これは世俗化の余波だろう。
檀信徒の宗派帰属意識は宗門の教化の重要な課題だが、その前提で宗門僧侶の意識をもっと宗派の活動に向けることが必要だ。
明治維新から約160年。各宗派は近代的な宗門の姿を模索し続けてきた。江戸時代以来の古い檀家制度の衰退は徐々に、不可逆的に進むとしても、寺院活動の再活性化を担う教団の可能性はまだ十分に試されていないと考える。宗門としての公共性を意識した活動なども未開拓の部分が多いが、何より教団こそがなし得るのは後継者教育だ。寺の「家庭」化で寺院内の子弟教育、雛僧の育成が難しくなっている現在、教団の役割はますます大きいはずである。
この点でも宗派帰属意識、宗政への関心低下は宗門が持つ可能性を阻む深刻な問題だ。帰属意識回復の具体的な施策が必要である。特に、宗務行政は一部有力者ではなく、宗門構成員全体の問題と実感されるよう努力すべきだろう。