ある看護師の昇天 マザー・テレサと共に
インド・コルカタの「死を待つ人の家」で困窮者の救済に尽くした故マザー・テレサと長年交流し、看護師として活動に加わった是枝律子さんが新型コロナウイルス感染症で亡くなり、過日、大阪のカトリック教会で少人数の偲ぶ会が開かれた。
享年85歳。大阪・釜ケ崎で野宿者支援活動をしていた40代に本でマザーを知り、感銘を受けて単身面会に渡印。以降は駅のトイレ掃除などの副業で資金を稼いで医薬品、食料品を送り、自ら医療を手伝いに50回以上も現地に赴いた。
参列した長年の友人によると、マザーと是枝さんの遺影に花が飾られた同会では近しい知人らが黙祷と祈りを捧げ、一人ずつ追悼の辞を贈った。献身的な活動を讃える言葉が多い中、普段着姿の初老の運送業の男性が「気さくな面白いおばちゃんだった」と懐かしんだ。老いてから交通事故で片足を切断し車いす生活だった彼女と町でたまたま知り合い、「私を運んで!」と依頼されてからの付き合いだった。
「そんなすごい女性とは知らんかった」との述懐に、誰にも気軽に声を掛け、世話され上手でもあった故人らしいと友人は感銘を受けた。それは、常々「弱い者同士、一人一人の分かち合いが大事」と言い、コルカタでマザーの「愛は言葉の中にではなく行動に示される。大切なのはどれだけたくさんの事や偉大な事をしたかではなく、どれだけ心を込めたかです」との教え通りの働きを続けた是枝さんの人柄そのものだ。
早くに夫と死別、息子も事故で失って独り暮らしが続くなど不遇な面もあった人生だったが、行動的で笑顔が人を惹きつけた。傷の治療に日本から大量に持参した軟膏にちなんで、ユーモアにあふれるマザーは彼女を「ミズ・オロナイン」と呼んだ。
突然のコロナ感染、入院から3週間のあっけない昇天。面会も一切禁止され、知人らのせめてもの手紙も重症で読めず、たった一人で旅立った。遺体はすぐに納体袋に納められて満足にお別れの葬儀も行われなかったという。だが多くの参列者は「残念だったけど、悲しくはない」「彼女は後悔はしなかったはず」と口に出し、友人も感謝の温かい詩を贈った。
マザーが瀕死の患者に「あなたは私にとって大切な人よ」と繰り返し、魂に触れるのを是枝さんは何度も見た。この世で寂しく生き、死んでいく人がその腕の中で安心して息を引き取る姿は美しいと理解した。そのように、彼女自身もまた今はマザーの傍で安らぎ、再会に微笑んでいることだろう。