不妊治療相談通じ 人生のカウンセリング
不妊治療や生殖補助医療で有名な病院で長年、患者のカウンセリングに当たってきたカウンセラーの女性が、その体験を記録としてまとめている。壮絶とも言えるその具体的な相談内容はプライバシーで紹介できないが、「不妊相談の多くは人生についての相談」というそのカウンセラーの受け止めには大きな意味がある。
相談者は泣いて悲嘆を訴え、自責の念に苛まれて「死にたい」とすら口にする。町でお腹の大きな猫を見るだけで苦悩が募る。そういう苦しみを抱えた女性が事情を打ち明けると、医療的な事柄に加えて当然に家庭問題や人間関係、生活設計といった人生についての相談になる。それは、そもそも子供を持ちたい、育てたい、それをどのようにするかということは人生の大きな問題だからだ。いや、人生問題そのもの、生き方の問題とも言えよう。
場合によってはその人が実生活つまり今の人生に十分満足していたら、もし不妊と分かってもそこまでは苦にしないかもしれないし、カウンセリングする中で、無理に過酷な治療をしなくてもいいと気付くこともあるという。逆に言えば、人生に満足できないことがあると不妊がことさらに大きな苦悩につながることもあろう。
不妊の医療的事柄だけを話しているように見えても、背景には必ず人生への考えがある。カウンセラーがそう捉えるのは、「不妊はその人の一側面であり全部ではない」という確固たる観点からだ。不妊だからといって全てを否定されるのは理不尽だ。何年も体外受精などの治療を続け、継続するかどうかをじっくり話し合う中で、断念してほかの生き方を探す人も多い。養子を迎えるという選択肢もあり、そのためこのカウンセラーは養子縁組の情報提供ができるような対応もしている。
実際に特別養子縁組をした女性の体験談では、悩み抜いた末に迎えた“我が子”の育児に追われるのを喜びと語り、血のつながりなどよりも家族で楽しく過ごすことの幸せを訴える。この母親がこのように前向きに生きているのも、カウンセリングを通じて不妊という一点から人生全般に思いを致すことができたためだ。
こういう相談になるのは、話を聴く側が相手をありのまま受け入れ苦を共にする、寄り添う姿勢を持っているからだろう。幼少の頃に身に付いた信仰があるというこのカウンセラーは、自らもトラウマを抱えて生きてきたが、カウンセリングを通して多くの人の苦に寄り添う中で、自分も共に成長したと語る。