コロナ後を問う 新たなつながりを求めて
コロナ禍で人と人が直接接触する行動が抑制され、コミュニケーションの在り方、人とのつながり方が変わってしまった。しかし、人は人と接触しないで生きていけるのか、親しい会話やスキンシップがないまま、人間らしい生活を続けることができるのかを改めて問うてみる必要がある。
人が集まり対面して語り合う。手と手が触れ合う距離で顔を合わせる。こうした人間的なコミュニケーションが持てなくなった状況に危機感を抱く人もいる。大阪大人間科学研究科教授の村上靖彦氏は、そのことを「極めて危機的だ」と感じている。高齢になって人と接触せず、孤独に生きることは、認知症の原因になるともいわれている。
お寺や神社は地域社会の自由区としての役目を古くから果たしてきた。法要・祭儀だけでなく、様々な催しに境内や施設が開放され、不特定多数の人が訪れる集いの場となる。このためウイルス対策に神経を使い、境内でのマスク着用を求め、手水舎から柄杓をなくし、拝殿の鈴の緒を取り除いた。受付にアクリル板や消毒液を常備し、授与品の受け渡しなどにも配慮している。
こんなメールが寄せられた。「私ども僧侶はいろんなシーンで、過敏症の方やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)であったり心疾患であったり、常にマスクをすることは命を縮めかねないご老人たちを相手にする機会が多い。そんな中でも、感染症蔓延防止の観点から、ほんの少しの時間だけ我慢していただくことを『お願い』しなくてはいけない立場にあり、法要が終われば、感染症予防のために窮屈な思いをして頂いたことに感謝をしなくてはいけない立場なのです」――届いたメールは、人と向き合い寄り添って生きる宗教者が想像以上の配慮を尽している現実を物語っている。
ウイルスを防ぐのにマスクは必要だが、人とのコミュニケーションや相互理解の上では妨げとなる。人は人と触れ合いながら生きてきた事実を否定することはできない。村上氏は「様々な規制が緩和された後を見据えて、もう一度、人々がつながれる場所づくりをしていかなければならない」と言っている。
そんな当たり前のことさえ、現下の状況では難しい問題に違いない。しかし、どうすれば人々をつなぐ場所づくりができるのか。リスクを避けながらコミュニケーションを図る方法があるのか、といった課題への答えを、日常生活の中で、それぞれが見つける努力をしなくてはいけない。