PR
購読試読
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
お位牌Maker
PR
宗教文化講座 翠雲堂

「ともにいる」意義 無為の時空の豊かさ

2022年1月5日 09時14分

新型コロナウイルス感染症によってテレワークが進み、多くの集いがオンラインで行われ、飲食をともにする機会が減った。新型コロナウイルス感染症が収束していけば、元へ戻るものもあろうが、新たな様式がそのまま続けられていく側面もあるだろう。これは新型コロナウイルス感染症の流行以前から動いていたものが、感染症の流行により加速した結果として捉えることもできる。

人と人との交流の在り方において、中長期的な変化が進んできており、それが加速したということだ。では、その変化は何か。人と人とが「ともにいる」ことが減ってきているということだ。「ともにする」ことは必ずしも減ってきてはいない。だが、特にすることはないが「ともにいる」という時間や場所が後退してきている。ともに無為に過ごす時空の豊かさが忘れられるのだ。

例えば、「何げない会話」というものを考えてみよう。沈黙の合間にふと会話がなされるような交わりがある。定められた時間の中で目的を果たすための会話とは異なり、ふと思い付いたことからやりとりが進み、思わぬ相互理解が生じたりする。「ともにいる」ことが前提となって「何げない会話」がなされ、おのずから進んでいくのだ。そこに交わりが生む豊かさがある。スピリチュアルケアや傾聴の働きも、「ともにいる」ことと切り離せないと考えられる。

「ともにいる」時間と空間は、目的を達成するために、効率を求めて管理される時間と空間とは異なる。合理性を高めて効果を数値で測ったりするような社会生活の領域が増えていくと、「ともにいる」時間と空間が乏しくなっていく。共同の無為の時空が軽視されるのだ。この傾向をコロナ禍が深めたところがある。

中にはコロナ禍によって、「ともにいる」ことの意義を再確認し、それを育てようという方向性を自覚した人もいるかもしれない。家にともにいて何げない話ができるようになったという人もいるだろう。宗教的な集いができにくくなったために、それが失われたことを辛く感じている人もいるだろう。

そこで感じ取られているものは、ますます効率に追われて動いていく社会生活の中で、忘れてはいけない目に見えない大切なものに通じるものだ。「ともにいる」ことは尊いものの訪れを待つこととも似ている。無為の時空の意義を顧みるよう社会に促す役割も、宗教が担ってよいものではないだろうか。

認知症の心の世界 拈華微笑の教えに学ぶ6月24日

認知症はかつて痴呆と呼ばれていた。2004年に厚生労働省はこれを認知症と言い換えることにした。今日では認知症の語はすっかり定着している。痴呆では、それ自体が差別的表現であ…

脱成長の時代へ 成熟の先に何を求めるか6月17日

ITやAI(人工知能)の登場で社会構造の変革が急速に進み、文明は第4次産業革命の段階に入ったと言われて久しい。一方で18世紀末の産業革命以来、成長の原動力となり、大国によ…

米「宗教の自由報告書」 中露など特定懸念国に警鐘6月15日

アメリカ国務省はこのほど2021年度版国際宗教の自由報告書を発表した。ブリンケン国務長官は2日のプレスリリースで「宗教の自由は、私たちの憲法の権利章典に記されている最初の…

神社本庁総長人事 田中氏の再任を決議も統理の指名なく未就任

ニュース6月24日
大きな顔が特徴の広島大仏と田中住職

広島大仏、67年ぶり里帰り 原爆忌平和法要控え 数奇な運命、奈良・極楽寺から

ニュース6月24日
何我寺本堂に立つ知花昌一氏。寺名にはウチナーグチ(沖縄方言)の「ぬーが」(これは何)と、「我なんぞするや」(私は何をなすか)の二つの意味を込めた

【連載】復帰50年、沖縄仏教はいま〈終〉 戦後の再出発 ― 土地は基地に、複雑な思い

ニュース6月24日
このエントリーをはてなブックマークに追加