02022年 今こそ仏教の悠久の時を
今年は02022年である。0が一つ多いと思われるかもしれないが、これは長期思考を養うためのアイデアだ。2022年と書くだけでは、西暦単位で今年までの年が経過したことを示すにすぎないが、02022年と書けば、万という単位での未来に思いをはせることができるのである。何万年先の子孫たちにとっては、今を生きる現生世代の私たちは立派なご先祖様である。
ローマン・クルツナリックは『グッド・アンセスター』の中で、日付に一つ数字を増やしただけで、それが何万年先の未来を想像できるヒントになると述べた。クルツナリックは、私たちがグッド・アンセスター(よき祖先)になれるだろうかと問い掛ける。祖先というと過去の世代を思い浮かべがちだが、私たちが未来人類の祖先と位置付けられるのである。
地球という惑星の上で、私たちの祖先はこれまで何万年も命をつないで今日に至っている。そしてこれからも人類が何万年と存続していくためには、全ての世代が次の世代へと命のバトンを渡していく役割を担う。未来に続く時間は無限に近いのに対し、生存空間は有限であり、この地球だけである。限りある資源を循環させていかない限り、地球上での生存はとても持たないであろう。
まして地球環境のこれ以上の悪化は、厳に慎まなければならない。原発によって生じる放射性物質には、プルトニウム239のように半減期2万4千年のものもある。その最終処分には深い穴を掘って埋めるほかないというのが現状だ。この先2万4千年間、まだ見ぬ先の子孫に負の遺産を伝え続けるとすれば、私たちはまさにバッド・アンセスターと見なされるだろう。
しかしその一方で、人間の持つ共感と想像力に希望をつなぎたい。思いをはるか未来へとはせることで、今・ここでの諸々の執着から自由になり、小欲知足の生き方を学ぶことができるはずだ。宗教、とりわけ仏教はその足掛かりを与えてくれる。仏教は超長期的な時間軸での思考を得意とし、経典には悠久の時を形容する言葉が幾つも登場する。
地球上には、人間以外にも数多くの生き物たちが生を享けて暮らしている。これらの生き物は人類の同胞であり、この先も同じ地球上で共に命を紡いでいくべき存在だ。生きとし生けるものに対する普遍的な実践の教えとして、慈悲という仏教思想はますます力を発揮するだろう。今後いっそう求められる循環型社会の先導役として、仏教者の活躍に期待したい。