日常の中の仏行 「百丈清規」の現代的意義
「働かざる者食うべからず」という言葉は、新約聖書にあるパウロの「テサロニケ人への第二の手紙」に由来するようだ。パウロは「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と書き、人々が働かないで怠惰な生活を送ることを戒め、静かに働いて、自分で得たパンを食べるよう勧めている。
この言葉で想起するのが、唐代の禅僧、百丈懐海の「一日作さざれば一日食らわず」である。高齢の百丈禅師が耕作に従事する様子を気遣い、弟子たちが農具を隠したところ、禅師は部屋に入ったまま食事を取らなくなってしまった。心配した弟子が尋ねた時の答えが「一日不作、一日不食」の一句である。
百丈禅師は大小乗の戒律を集成し、叢林(僧堂)にふさわしい戒律を制定した。世に「百丈清規」といわれるもので、仏教学者の宇井伯寿博士は、これを伝教大師最澄が創唱した大乗菩薩戒=円頓戒と並ぶ戒律史上空前の偉業と、その歴史的意義を高く評価した。
また駒澤大元総長の鏡島元隆博士は、百丈清規の独自性を「単なる運水搬柴、給食行茶というような非生産的な勤労ではなく、自ら種田し収穫する生産的勤労であることである」と指摘した。叢林の自給自足を志向する規律としたところに画期的な意義があり、それは叢林の経済的自立を意味し、経済的自立によって精神の独立を確保したということでもある。
百丈禅師の叢林が自給自足のみで運営されていたというのではない。農耕する田地を寄進する外護者の存在もあったとみられ、また施主による供養(捧げ物)も集まったことが記録されている。その全容を概観すれば、ほぼ現代日本の寺院形態の原形と言えるものが浮かび上がってくる。
勤労を出家の本分として積極的に意義付けた百丈清規の思想的意義について、鏡島博士はさらに「禅院にあって、日夜食事を調理する炊事も、朝夕水を運び柴を運ぶ土木の仕事も終日田を耕し土を鋤く農耕の仕事も、それらはその意義において坐禅と何ら異なるものではない修行とされる」ところにあると論じている。
禅門では行住坐臥の全てを仏作仏行として重んじる。それは仏教の日常的な規律の基本を成し、世間と同等の生活を日常とする現代の僧侶・寺院においても尊ぶべき規範となる。その源流を尋ねてゆくと百丈清規に行き当たる。戒律改革を断行した百丈禅師の革新性は現在に及んでいると言ってよい。禅師の先見性と百丈清規の現代的意義に改めて着目したい。