包括・被包括の観点で 宗派の未来目指す予算に
コロナ禍は宗教界にも、教化活動や財政面で深刻な影響を及ぼしている。本紙元日号ではコロナ禍1年目の仏教各宗派2020年度決算を分析したが、包括宗教法人の場合、各種研修会・講習会等の中止、規模縮小などで収入、支出ともに減少したようだ。
こうした部門の財政的縮小は教学、教化という教団の中心活動の縮退を意味するわけで、金額として表れる以上に大きな打撃を受けているとみるべきだろう。対面の教育、議論が難しくなった半面、オンライン会議などの可能性が開けてきたという指摘もあるが、宗教においてはそれだけでは到底マイナスを補えない。
被包括法人である一般寺院の場合、経済的影響はよりストレートに響き、宗費、賦課金の減額あるいは給付金の支給といった形で支援をした教団もある。過疎化、寺離れなどの影響もあり、被包括法人の困窮はコロナ禍という単なる一過性の問題とはいえない。
こうした中で、本紙でも報じてきたように、宗派の運営の在り方を持続可能性といった観点から見直す動きも出てきた。自己目的化したような部分をチェックし、贅肉をそぎ落とす作業があちこちで進められつつある。ただし、単純に組織を小さくすればいいということではない。
包括宗教法人と被包括宗教法人の間は宗教的価値の共有で結び付いていると同時に、共益的な関係も重要である。ここで共益とは経済的な効率の面があるとしても、宗教的価値と密接につながり、その実現に貢献するような効果をもたらすべきものだ。つまり、金銭的な負担軽減や収入増加という観点だけで説明できない共益を目指すのが両者の関係だろう。
宗派の側も末寺から寄せられた宗費をいかに有効に使うか、という点には一層神経を集中するようになっている。一方、一般の寺院にとって負担軽減は希望するところだろうが、単にそればかりではないはずだ。
歴史的な本山・末寺の問答無用の絶対的関係だけで、宗門と一般寺院がこれからの時代を乗り越えるのは容易ではない。宗教的な価値を共有する包括・被包括法人として、両者の関係を一歩離れた視点で整理して考えてみることが必要ではないだろうか。
その関係を明確に意識し、最も大切な信仰を守るために予算を共益的に用いることこそ、被包括法人が包括法人に期待するところではないか、と考える。宗門の将来を見据えた各宗派の新年度の予算編成の内容がこれまでにも増して注目される。