ウクライナ危機 今こそ核全廃を訴えるべき
恐れていたことが起こった。ロシアによるウクライナ侵攻は国際的緊張を一気に高めた。和平協議に関わる動きも報じられるが、国連の安全保障理事会は無力をさらけ出した。ロシアのプーチン大統領が始めた戦争はパンドラの箱を開いた可能性がある。ウクライナ国内の戦火はやまず、未来を担う子供たちを含め多くの犠牲者が出ている。先頃発表された2022年の「世界終末時計」は21年と同じく残り1分40秒だったが、侵攻後の公表なら確実に秒針を大きく進めていただろう。一日も早く和平が実現することを願う。
しかし、プーチン氏は、「核抑止部隊」に特別警戒を命令したと伝えられる。今年1月にロシアを含む核保有5カ国が「核戦争に勝者はいない」と核戦争防止の共同声明を出したばかりだ。ロシアは署名していないが「核兵器の禁止に関する条約」は第1条に核使用はもとより、使用に関する「威嚇」も禁じている。ウクライナ侵攻という武力行使の具体的局面で核威嚇の意味するところは大きく、深刻だ。
最近、中国の駐日外交官が「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚かな行いをしてはいけない」とツイートして反響・反発を呼んだ。こうした「国力」を背景とする論理の言説が一層露骨に行われるようになりつつある状況を深く憂う。今もなお、力の誇示、恫喝によって永続的な平和が保たれると考えられる時代なのか。「平和」のためという口実の核威嚇の一歩先にあるのは現実の核兵器使用、「勝者のいない」戦争だ。
ロシアのウクライナ侵攻に関連して、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの3国が核不拡散条約の加盟国となり、旧ソ連時代から保有していた核兵器をロシアに引き渡した1994年のブダペスト合意がよく言及される。ウクライナが核廃棄(ロシアへの移転)の代償に得た安全保障が裏切られたことを踏まえ、我が国の憲法9条、非核三原則など安全保障を見直すべきという意見も勢いづいているようにみられる。
しかし、核以前と以後では軍事力均衡の意味が違う。核抑止力がこれまで核兵器使用を抑えてきたとしても、ヒロシマ・ナガサキから数えてわずか77年にすぎない。脆い均衡が破れれば、今度は全人類的な災禍が避けられない。ロシアの核恫喝の危険な意味を考えるなら、むしろ核の全廃を強く呼び掛けるべき時だろう。ウクライナ和平実現を各方面へ訴えるとともに改めて政府に核兵器禁止条約参加を促すことも、日本の宗教者がなし得ることの一つではないか。