災害と日本人 人災に我慢は考え物だ
日本は「災害リスク」の高い国だ。近年、よく聞く造語「災間」も、次の災害に警戒を促す趣旨だろうか。明治以降、死者・行方不明者が千人を超す大地震・津波が計12回、単純平均で十数年に1回発生しており、巨大化する台風や豪雨禍、さらには狭い国土に世界の火山の7%が集中し、噴火災害も心配されている。今はむしろ、「災前」を生きている、と身構えておいた方がいいようである。
実は冒頭の「災害リスク」は国連大学の報告にも表れる概念で、日本は自然災害に遭う可能性は世界171カ国で4番目に高いが、インフラ整備や災害対応能力を加味した総合的なリスク評価では17位に下がるという。だが、ほとんどの先進諸国がリスク評価100位以下なのと比べ、被災しやすい国といわれてもやむを得まい。
数々の災害を経験しながら、困ったことに人々は文明が発達するほど自然を侮り、その報いとして災害も大規模化する。地震の研究はこの30年で進んだというが、地球年齢でいえば秒の単位にもなるまい。その程度の地球しか知らないのに、日本は防災を重視した国造りを怠り続けてきた。
人間の忘れっぽさが理由の一つに挙がる。寺田寅彦は1933年の昭和三陸地震・津波の後に記した随筆「津浪と人間」で、昔なら津波を戒める碑を建てたら相当な利き目があったが、これから先の日本人は甚だ心細い、と被災体験が継承され難いことを嘆いた。
東日本大震災では宮城県南三陸町の女性職員が、防災対策庁舎で最後まで避難を呼び掛け続け、多くの職員と共に津波で殉職した。庁舎が建てられた場所の地名「塩入」は、海水が来る低地という意味を託されたはずだ。そこを防災の拠点にしたちぐはぐさ。
古来伝わる先人たちのメッセージを軽視すると人災を生む。防災庁舎の悲劇は一例にすぎない。
もう一つ、災害は普段見えない社会の病理を弱者に被害が偏る形で可視化し、多くの場合、人災的要因をはらむ。一方、日本人の精神性は伝統的に仏教の無常観と親和的で、天災は運命として静かに受け入れやすい。ただ、その精神性は災害時でも秩序を乱さないなどの長所として表れる半面、人災的側面まで受容してしまい、禍根を残すという事例も耳にする。
理不尽さに我慢を重ねると、同じ轍を歩んでしまう。今の時代、災害で顕在化する病理にしっかり向き合い、社会を改革する視点が求められていないか。超高齢化が進み、災害時に被災者にとって社会との関係性が一層大事になってくる。