救うということ 仏像を貧者に与えた栄西
人間の生きている現実と、どう生きるべきかといった問題は、時代や状況が変わっても本質的なところでは何も変わっていないように思われる。いま私たちは、人が人をどうしたら救えるのか、隣人の苦しみにどう対処すべきかに答えを迫られる困難な現実に直面している。
ウクライナの人たちを支援する動きが広がる一方で、足元を見れば生活苦を抱えるたくさんの人が日本にもいる。この現実を放置して他国民の苦しみに手を差し伸べる余裕はないという考えもある。しかし目の前に苦しむ人がおり、助けを求めているのに、私には力がないと言えるだろうか。
1930年代のアメリカで、地主に土地を追われた農民が別天地を求めて荒漠たる大陸を移動する苦難を描いたスタインベックの『怒りのぶどう』に、露営でシチューを作る母親の周りを、どこからか集まった飢えた子どもたちが物欲しげにうろつく場面がある。母親は「自分たちも食べるのが精一杯だ。お前たちに何も与えることはできない」と告げるが、家族にシチューをつぎ分けた余りを鍋底に残し、それを子どもらは手にした棒切れで競うように掬って舐める。苦境にあえぐ者が隣人の苦しみに何をしてやれるのかという問いへのぎりぎりの答えである。
道元禅師の言葉を聞き書きした『正法眼蔵随聞記』に、こんな話がある。栄西禅師在世の時、建仁寺に貧者が訪ねてきて「貧しくてご飯も炊けない日が続いている。夫婦息子の三人は餓死しそうだ。慈悲を以て救ってください」と訴えた。しかし建仁寺の台所も苦しく、与えるほどの衣食財物等は何もなかった。栄西禅師は薬師仏の光背を造るために打ちのめした銅が少しあることに思い至り、これを自ら折り束ねて丸め、貧しい客に与えて言った。「これを食物に換えて飢えをふさぎなさい」
貧者は喜んで去ったが弟子たちは驚き、「仏像を造る材料を俗人に与えるとはどういうことですか。仏様のものを処分して罪にならないのですか」と問うた。栄西禅師は答えた。「誠にその通りだ。ただし仏は身肉手足を割いても衆生に施される。目の前で餓死する衆生がいれば、仏の全身を与えても仏意にかなうに違いない。たとえその罪によって私が悪趣に堕ちようとも、衆生の飢えを救うべきだ」と。
道元禅師は修行僧に対し「先達の心中をよく考えてほしい。忘れてはいけない」と言葉を添えている。出家の道とはいえ、このような生き方が示されていることを心に留めておきたい。