分岐点に来た平和主義 問われる宗教界の努力
ウクライナ危機が酸鼻を極める中、初期仏典「ダンマパダ」が説く「恥を知らず、烏のように厚かましく(略)大胆で、心の汚れた者は生活し易い」(中村元訳『真理のことば』)という教えで、すぐさまロシアの指導者の名が浮かぶ。核で脅し、他国に侵攻して思うさま残虐な蛮行を続け、自己の行為を正当と主張する。その横暴に世界が手をつかねている。
仏典は続いて「恥を知り(略)つつしみ深く、真理を見て清く暮す者は、生活し難い」と説示する。対照をなす二つの言葉から、日本国憲法の前文を思い起こした。
憲法公布から施行までの半年間に『新憲法の解説』『新しい憲法明るい生活』『あたらしい憲法のはなし』の三つの啓発冊子が作られた。最初に公刊された『新憲法の解説』(内閣発行)は、憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し」以下の文章について「世界に先駆け戦争放棄を規定した(略)平和主義の日本を、武力の脅威から守ることは、平和愛好国民の信義に委せる。信を人の腹中に置くという立派な態度を示し」と格調高く語る。
それが現憲法の原点であり、国益や権謀術策が渦巻く国際社会で、仏典が説く「生活し難い」道を選択したともいえる。
制定の経緯はさておき、国は新憲法の普及に並々ならぬ努力をした。半官半民の憲法普及会が創設され、憲法施行に合わせ、当時大衆的人気があったサトウハチローと中山晋平に作詞、作曲を依頼して「憲法音頭」も発表された。
だが、その後、東西の冷戦激化で平和主義は苦難の道をたどる。ただ、平和憲法に国の未来を託した先人たちの熱意に比し、昨今、憲法前文と戦争放棄の9条を主たるターゲットに置く改憲論の言葉の軽さは目に余る。改憲派が迫る敵基地攻撃能力の保有が専守防衛を危うくすると批判されれば「反撃能力」と言い換える。これは一例にすぎない。それでも改憲勢力の勢いはウクライナ危機で助長されていることが、3日の憲法記念日の諸行事でもうかがえた。平和主義は曲がり角に来ている。
話を戻して、国家間の関係に仏典の教えを持ち込むのは無理があろう。だが、憲法前文が「諸国民の公正と信義」を信頼する、と強調していることを忘れるべきではない。ロシアにも平和を愛好する国民が少なくないはずである。
宗教団体の行う社会貢献で、平和の増進に関する活動に人々の期待が高いという報告もある。ブッダや教祖の教えを現代に応用し、憲法論争を正しい方向に導く努力が宗教界に求められている。