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宗教文化講座 翠雲堂

僧侶の生老病死 寺院の外で迎える老後

2022年5月25日 10時21分

生老病死は誰一人として避けて通れない道である。そこには僧侶も在家者も、老若男女の区別もない。老いが進み、病床に伏すようになれば施設や病院で人生の最期を迎えるのも僧俗に格別の違いがあるわけではない。しかし、世襲寺院とそうでない寺院の僧侶とでは状況がだいぶ変わってくる。跡継ぎとなる家族がいない僧侶の場合は、高齢で住職を引退した後に寺で生活を続けられるとは限らない。その時は寺を出て老人福祉施設などに身を寄せて晩年を過ごすことになる。

多くが住職とその家族で運営されている現在の寺院では、老僧が住職を引いたら弟子の子どもが跡を継ぎ、老僧は前住職、あるいは閑栖として寺の中で晩年を過ごすことができる。老後を住み慣れた場所で家族や身内の人たちと一緒に暮せるなら、いろんな意味で安心である。寺に血の通った跡継ぎのいない僧侶が引退する場合は、自力で、あるいは身内の助けを借りて「終の棲家」を見つけなくてはいけない。

80歳を越えた老僧からこんな手紙があった。「小生、今般、老人保健施設に入居することになりました。娘夫婦が心配して、目の届くところに入れたいということで引っ越すことになりました」。布教の第一線で活躍してきた人だけに、元気なうちは近くの寺院の求めに応じて法話や坐禅会の勤めも果たしたいという。

終活の難しさは誰しも同じである。転居のために膨大な資料や所有物を処分しなくてはいけない。1人暮らしの老人にとって、それは想像を絶する重荷だと書いている。「自分を捨てなければモノは捨てられない」というのは偽らざる実感だろう。施設の入居費用は月額10万円の年金をそのまま充当するということだ。

高齢化する尼僧の現実はもっと切実かもしれない。ある人は「今や尼僧は絶滅危惧種です」と自嘲気味に口にする。多くの尼僧に家族はいない。寄る辺となるのは弟子や本寺、責任役員しかいない。老後の処し方は大きな問題で、動けるうちに身辺を整理して本寺や責任役員に後事を委ね、住み慣れた土地の近くで施設に入る手はずを整えることになる。

ある宗派で、高齢僧侶の入居施設を宗門で確保すべきだという議論が一時持ち上がったこともあったが、立ち消えた。宗門寺院の福祉施策として考える必要はないだろうか。法人として包括・被包括の関係があり、そこに宗費が発生していることを考えると、互助・共助の制度が宗門的な課題にならないとは言えないだろう。

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