脱成長の時代へ 成熟の先に何を求めるか
ITやAI(人工知能)の登場で社会構造の変革が急速に進み、文明は第4次産業革命の段階に入ったと言われて久しい。一方で18世紀末の産業革命以来、成長の原動力となり、大国による経済支配を進展させてきた資本主義は、深刻な格差拡大と地球資源の有限性という大きな壁に直面していることが指摘されている。
経済成長によって成熟した現代世界はこれから先、どこへ向かうのだろうか。文明の行方に漠然とした不安を抱きながら私たちは生きているのではないか。人類は民族同士や国境を挟んでの対立と抗争を終息させることができず、地球規模で進行する環境問題を解決できるのかを憂慮している。
人類の未来への危機感から世界の知識人によって設立されたローマクラブが「成長の限界」と題する報告書で「真の敵は人類自身である」と警告したのは半世紀前の1972年である。成長の限界、地球資源の枯渇、地球環境の危機――これらは今まさに21世紀の文明史的課題として立ちはだかっている。こうした状況に対し、世界の安定と平和を目指す唯一の国際組織として期待される国連は、大国である常任理事国が自ら保有する強大な軍事力に対し抑止力を発揮できないという深刻なジレンマに陥っている。
最近、京都大こころの未来研究センター教授・広井良典氏の「定常型社会論」が注目されている。人類の歴史を「拡大・成長」から「成熟・定常」へのサイクルで俯瞰し、人類誕生から狩猟採集時代への段階を定常化の第1期、約1万年前に農耕が始まってからギリシャ哲学や仏教、儒教や老荘思想、キリスト教の原型となる旧約思想が生まれた紀元前5世紀前後の時代を第2期とする。産業革命から現代に至る時代を定常化へ移行する第3期と見る。ここで留意すべきは、歴史のサイクルが次なる定常化へ移行する過程で新たな観念や思想、価値が生まれると予測している点である。いわば物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ向かう大きな革新の到来を期待する文明論である。
仏教や儒教、キリスト教といった普遍的な原理を志向する思想が生まれた「心のビッグバン」と同様の現象が、現在の「拡大・成長」の先に生じるとしても、それがどんな価値原理なのかは予想し難い。しかし生きる指針を人々に示す宗教もまた、かつてない革新へ向かうというのであれば、変革されるべきは教団・寺院の旧態であり、目指すべきは人間の生と死の原点に立ち返る道であることを覚悟しなくてはならないだろう。