PR
購読試読
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
お位牌Maker
PR
宗教文化講座 翠雲堂

認知症の心の世界 拈華微笑の教えに学ぶ

2022年6月24日 10時27分

認知症はかつて痴呆と呼ばれていた。2004年に厚生労働省はこれを認知症と言い換えることにした。今日では認知症の語はすっかり定着している。痴呆では、それ自体が差別的表現である上に、この言葉が一種の壁になって心の交流を阻んでしまう側面があった。その意味でも、この名称変更は大きな進展だった。

近年では、認知症の人の心の世界に迫る内容の書物が次々と刊行されている。それらを読めば、私たちが認知症の人を理解できないのと同じように、認知症の人もまた私たちを理解できていないことについても痛感させられる。

例えば徘徊という行動一つを取ってみても、目的もなくさまよっているわけではない。当人は懐かしい“我が家”に帰ろうとしている。問題は、その“我が家”は当人の心の中にしかなく、どこをどう歩いても、決してたどり着くことができないということだ。この行動が徘徊という形で現れるのである。

そんな時、家族の者ががみがみ叱っても、いたずらに認知症の人を怯えさせ困惑させるばかりである。むしろ、徘徊している姿を見掛けたら、「一緒に家に帰ろうね」といって優しく声を掛けて誘導するのが良いとされる。認知症では文字通り認知機能があらゆる面で低下するが、最後まで残るのは顔の表情を読み取る能力だという。それだけ喜怒哀楽の情は人間にとって根源的なのである。私たちが微笑むことで認知症の人は安堵を得ることができるのだ。

寄り添い支援では、その人の気持ちに寄り添うことが大切だ。気持ちに寄り添うためには、その人の心の世界を少しでも知り、理解することが重要な条件となる。もしかしたら、認知症の人との付き合い方も一種の異文化理解、異文化交流のようなものだと考えるといいのかもしれない。たとえ言葉が分からなくても、また行動様式が異なっていても、相手の表情を見ればお互いに通じ合うものがあるはずだ。

禅宗では拈華微笑を説く。釈迦が霊鷲山で蓮華の花びらをひねって見せた時、誰もその意味が分からず黙ってしまったが、ただ弟子の迦葉だけがにっこりと微笑んだ。そこで釈迦は彼に正法を授けたという。迦葉が真理を会得した時の表情が微笑みであるとも言えるし、彼の微笑みこそ真理を会得する秘訣だとも言える。

拈華微笑の教えは、言葉を超えて通じ合う心の交流を示唆している。それは、私たちが認知症の人に接する際の大きなヒントにもなり得るのではないだろうか。

脱成長の時代へ 成熟の先に何を求めるか6月17日

ITやAI(人工知能)の登場で社会構造の変革が急速に進み、文明は第4次産業革命の段階に入ったと言われて久しい。一方で18世紀末の産業革命以来、成長の原動力となり、大国によ…

米「宗教の自由報告書」 中露など特定懸念国に警鐘6月15日

アメリカ国務省はこのほど2021年度版国際宗教の自由報告書を発表した。ブリンケン国務長官は2日のプレスリリースで「宗教の自由は、私たちの憲法の権利章典に記されている最初の…

難民・避難民1億人 日本は均衡ある対応を6月10日

内戦を逃れ、ボートでトルコからギリシャを目指したシリア難民で3歳の坊や、アラン・クルディちゃんの水死体がトルコの海岸に打ち上げられたのは2015年9月のこと。小さなスニー…

神社本庁総長人事 田中氏の再任を決議も統理の指名なく未就任

ニュース6月24日
大きな顔が特徴の広島大仏と田中住職

広島大仏、67年ぶり里帰り 原爆忌平和法要控え 数奇な運命、奈良・極楽寺から

ニュース6月24日
何我寺本堂に立つ知花昌一氏。寺名にはウチナーグチ(沖縄方言)の「ぬーが」(これは何)と、「我なんぞするや」(私は何をなすか)の二つの意味を込めた

【連載】復帰50年、沖縄仏教はいま〈終〉 戦後の再出発 ― 土地は基地に、複雑な思い

ニュース6月24日
このエントリーをはてなブックマークに追加