決して忘れない いのちの重み伝える
2016年7月に重度障がいのある入所者19人が殺害された津久井やまゆり園事件から26日で6年。今年も遺族や関係者らによる追悼会の知らせが来た。「忘れない、風化させない、後世に伝える」と記された案内状には、事件で奪われた一人一人のいのちの重みへの思いがにじんでおり、何より「犠牲者を偲ぶ会」という集いの名称がそれを表している。
悲惨な事件事故はその後も後を絶たず、やまゆり園のことは人々の記憶から薄れがちだ。災害も同様で、東日本大震災から11年余りが過ぎた被災地ではこの6月、ハード面の“復興”の陰で被災体験が風化するのを心配する声を多数聞いた。街並みが壊滅し900人近い犠牲者が出た宮城県名取市の閖上地区にある震災伝承施設では、市民の語り部が訪れる人々に当時の惨状と教訓を話し伝えており、そこへやまゆり園事件の遺族である母親も姿を見せた。
施設長で自らも被災した小齋正義さんは「震災と同様に理不尽なことで肉親を奪われた方々は、死者への供養のために同じような境遇の人と心を通わせたくなるのでしょうか」と話す。他にもエレベーター事故で息子を亡くした母親、そして1985年8月に乗客乗員520人が死亡した日航機墜落事故の遺族も来た。いずれもが底なしの悲しみと死者への胸が張り裂けるような思いを抱えていた。
かけがえのない身内を亡くした悲嘆。それは当事者に深い傷を残すとともに「決して忘れない」という気持ちを募らせさせる。それが多くの共感として広がれば、世間でいのちへの思いが減ずるのを食い止めることができるのではないか。「この地で生きた多くの方々。死者は人数ではなく、一人一人に物語があったのです」。語り部活動でそう訴える小齋さんはその後、ジャンボ機墜落現場の山にある慰霊碑を参拝に訪れた。
児童教職員84人が津波の犠牲となった宮城県石巻市立大川小。当時6年生の次女を失い、遺構で伝承活動を続ける父親は「ここに町があり、子供たちが学びました」とかつての様子がよみがえるように語り掛ける。二度と悲劇を繰り返さぬようとの一心で「娘がそばで『話して、お父さん』と言っています」と話し、ここでも各地の災害や韓国の旅客船沈没事故の遺族らが交流に訪れた。
癒えることはあっても、決してなかったことにしてはならない悲しみが、多くの人々に訴え掛ける原点だ。現地で「体が動く限り通い続けます」と犠牲者の供養を続ける近くの住職も、その思いを抱え続ける。