家族、いのちとは問う 「ベイビー・ブローカー」で
カンヌ映画祭で二つの賞を受けた是枝裕和監督の映画「ベイビー・ブローカー」が注目を集めている。母親が事情があって育てることができない赤ん坊を預託する「ベビーボックス」。そこに預けられた乳児を盗み出し、子供が欲しい夫婦に売るという“悪党”仲間の物語で、韓国が舞台。最終的には「商売」よりも生まれた赤ん坊のいのちを、彼らの道行きに付いてくる若い生みの母親の幸せを最優先に、赤の他人同士が心を通わせ奮闘するというストーリーだ。
「捨てるくらいなら産むな」「産まずに中絶するのとどちらが罪か」などの台詞もあるが、人身売買を指弾する狙いでも、ベビーボックスの存在を論議するだけの映画でもなく、「家族とは」「人と人のつながりとは」、つまり「いのち」を正面から深く多角的に描いたドラマだ。自分一人じゃ何もできないと嘆く母親に、仲間のリーダーは「一人で全てを背負うことはないよ」と言う。
主人公たちは幼時に親に捨てられたり、犯罪に流れたり、離婚で家族が離散したり、それぞれに重苦しい経歴と事情を抱えている。無論、乳児売買は重大な犯罪だ。だがだからこそ、表面的な「美しい家族愛」のステレオタイプ物語では見えてこない、「善」も「悪」も兼ね備えた人間、いうなれば「凡夫」「罪人」の本質に根差す深い「いのち」観が立ち現れる。
世間からはじき出され続けた生みの母は「あんたらにもっと早く会っていたら捨てなかった」と話し、眠る赤ん坊を囲んで主人公たちが「生まれてきてくれてありがとう」と照れながら言い合う。
嬰児取り違え事件を基にした「そして父になる」、他人同士が疑似家族として結び付く「万引き家族」など伝統的家族観とは異なる一連の是枝作品にテーマがつながるが、それらがどれも国際的賞に輝いたのは、根本から「家族とは」を問う内実が国の文化を超えて評価されるからに他ならない。
「伝統的」と言っても日本でも時代によって家族の形態は大きく変化してきた。特に近年の激変は、住宅難や子供を産み育てる余裕がないなどの社会経済的要因、政策のありようにも関わっており、道徳や倫理観の問題に一面化して嘆くだけでは何の解決にもならない。
宗教者も大きく貢献している里親や養子縁組、第三者からの卵子精子提供による出産、同性婚での子育てなど、複雑な現代社会で多様な道を選びながら人と人とがつながって生きていく。そのような現実の「家族」の在り方を前提に「いのち」に寄り添うことが宗教者にとっても大事な役目だ。