SNSの危うさ 触れ合う時間を取り戻す(5月31日付)
インターネットの普及でSNSなど多様な通信サービスが利用されるようになり、デジタル表記による情報交換の利便性と弊害がしばしば社会問題となる。対面による直接会話や書面での表現行為とは違って匿名性が高く、また即時的な拡散機能を持つため、考えや感情を一方的に相手に表明してしまい、時に攻撃性に陥る危うさがあるからだ。最近は「インスタグラム」などの画像・動画投稿サービスが精神に様々な影響を及ぼすことが問題となっている。
ネガティブな影響が深刻化している点については、投稿された画像と自分の日常生活や容姿を比較し、精神的な苦痛や外見への劣等感に駆られて傷つけられる青少年の事例などが報告されている。こうした問題が起こる原因について、ソーシャルメディアに詳しい山口真一氏は、投稿者が自身の良い面しかSNSに上げないことや、画像・動画が加工されがちであることを挙げている。
仮想空間であっても、それを視聴する者は現実の出来事として感受・感得する。言葉はそれ自体に不思議な力が宿るから、ネット空間での文字言語であれ日常の会話であれ、自分が発する言葉の働きが他者に及ぼす影響に思慮を巡らすことは、対人関係の基本と心得るべきだろう。その力が好ましい方向に働けばよいが、悪い方向に働くと、たった一言が人を深く傷つける。逆に一言に救われたという経験もある。一度口にした言葉は取り返しがつかないから、うっかりしたことは言うべきではないし、言ってはならない。
仏教は身の振る舞い、口から出る言葉、心の中の思いなど身・口・意の三業を慎むよう教え「和顔愛語」を勧めている。ブッダの説示にも言葉に関することは多い。菩薩の修行法である「四摂法」に「布施」「愛語」「利行」「同事」の四つが示されている。「愛語」は優しい言葉、慈愛の心から発せられるものであり、愛語を心掛けていれば、人間関係もおのずから和やかなものになる。
では、言葉や画像だけの意思伝達で「和顔愛語」の心を伝えるには、どうすればよいのか。人を傷つけない表現方法の工夫が求められるのは言うまでもない。ネット時代に「愛語」を発するための心のありようや、直接的なコミュニケーションとSNSを通じた情報交換の根本的な違いを学ぶ機会も必要だろう。何よりも、仮想された現実ではなく、人と人との対面交流の大切さを知り、生身の人間同士が触れ合う時間を取り戻す機会を増やすことこそが大事ではないだろうか。