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祈りは無力か 生きるための究極の力(9月6日付)

2023年9月8日 09時53分

どうにもならない現実に直面した時に、人は祈り、念ずる。それは動かし難い現実に対するやむにやまれぬ行為である。では、その祈りは通じるのか。念ずることが現実を動かす力になるのだろうか。もし、祈り念ずることが現実的な効果を生むのであれば、それは祈りや念が通じたことになる。

「祈りの力」と言うと「呪力」のような意味合いを持つ。「祈り」と「呪力」は何が違うのか。呪力には超自然的な力の働きが期待されている。しかし祈りには現実具体的な効力の働きは見えない。念ずることは心の集中であり、内なる願いを最高度に高めることで現実の変革を期待する。

祈りと呪力は異なるものだと言えば、祈りは所詮無力なものでしかないのかということになる。だから「祈りは無力か」という問いに対して「祈りの力」を信じない人は、祈ることは空しい行為だと答えるだろう。しかし、祈りを信じる人は、それでも「祈りには力がある」と言うだろう。

人が祈りの力を信じられないのは、祈りを世俗の「力」や「効力」と同じようなものと考えるからではないか。だが「祈りの力」といっても武力や威力とは異なるもので、祈りは人間の心が求める切なる願いにほかならない。祈る心、念ずる心の働きが人の思念を動かし、現実を変える力となる。

仏教詩人の坂村真民は「念ずれば花ひらく」とうたった。祈りは銃弾のような直接的な力ではないが、人を新たな行為へ促す力となる。そのことを信じる、それもまた祈りであり、念ずるということだろう。「祈る」という一点において、祈る者同士がつながり、そこから生きる力が生まれてくるのを経験した人たちもいる。それこそは物理的な力とは次元の異なる、人間究極の力とも言うべき「祈りの力」ではないか。

現代ロシアを代表する作家のミハイル・シーシキン氏は、力で敵を圧倒し征服する戦争を防ぐ力を文学や芸術、祈りや願いは持つのか、という問いに対して、こう書いている。「真の文学は常に、人間が憎しみではなく愛を求めることについて語っている。戦争が終わり、住宅が爆撃されなくなっても、傷や痛み、憎しみ、悲しみが残る。その時こそ、文化や音楽、文学の力が必要になる」。また「私は信じたい。真の文学はすべて希望や光、人のぬくもりを運ぶためのノアの箱舟のようなものなのだ、と」――これは「祈り」や「願い」が無力なのかという問いへの切実な答えである。祈り、願い、念ずることは、生きる力そのものだということである。

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