パレスチナ問題 真実を見抜く目を(11月1日付)
イスラエル・パレスチナ紛争は「今」を見ているだけでは真実にたどり着けない。ハマスの1400人もの殺人と人質奪取は非道だが、圧倒的な軍事力を持つ側が近代兵器で街をがれきの山にするのもむごい。
子どもを含め惨殺される人はいずれ1万人に達しよう。非戦の思想や民族の平等と共存、命の尊厳など近代文明が培った善き価値観が突風の勢いで吹き飛ばされる。だからこそ歴史に目を注ぎ、真実はどこにあるのかを冷静に考えねばならないように思う。
パレスチナ問題は旧約聖書にさかのぼる長い宗教上の争いとみられがちだが、誤解が多いようだ。故梅原猛氏が『梅原猛の授業 仏教』で、イスラエルの建国は「暴挙ですよ。二千五百年前にここに俺たちの国があったんだから、みな出ていけといっても、追い出されるほうは、たまったものじゃない」と語っているように、争いの起源は1917年にある。同年、英国が後に委任統治領とする、アラブ人の住むパレスチナにユダヤ人の「民族の故郷」建設を約束、欧州で迫害されるユダヤ人移民を受け入れた。先の大戦後、47年に国連決議でパレスチナを2分割して人口では3分の1、面積で6%の土地に住むユダヤ人にパレスチナ全土の6割弱を割り当て、アラブ人推定75万人を排除して48年、イスラエルは建国宣言をした。
結果として欧州諸国のユダヤ人差別の罪滅ぼしを植民地に転嫁したような構図になっている。それ以前のパレスチナでは、共に一神教の「THE GOD」を信仰する「啓典の民」として、イスラム教徒もユダヤ教徒も比較的平和に共存していたとされる。
60年の米国映画「栄光への脱出」はイスラエル建国を描いた大作だが、建国に抗して戦うアラブ人が米国の西部劇に敵役で登場する先住民インディアンと重なって見えたものだ。イスラエルは西部劇のように武力で占領地を広げ、67年の第3次中東戦争でガザ地区とヨルダン川西岸などを占領、以後幾多の経緯を経てガザと西岸はパレスチナ人自治区とされた。
イスラエルの長きにわたる占領政策でガザでは人の交流と物流のほとんどを遮断され、失業率は63%に達し、若者たちの希望を奪った。ヨルダン川西岸は国際法を無視してユダヤ人の入植地が際限なく拡大され、長大な分離壁がパレスチナ人の往来を妨げる。過去、凄惨な戦闘が絶えない背景には、パレスチナ人の癒やされることのない深い悲しみと絶望感、憎しみがある。そのことに目を向けないと、将来も惨劇は繰り返される。