ネット時代の課題 迫られる社会規範の再構築(9月11日付)
インターネットの普及によって個人と社会、個人と個人との関係性が大きく変わった。個人が不特定多数に情報発信し、受信することが可能となり、個人レベルで世界とつながることがネット時代の新たな現実となった。家族や地域社会でのコミュニケーションの在り方や日常的な人間関係にも目に見えない所で様々な変化が起きている。
今問題になっているのは、発信元が誰であるかを知らせることなく、いつでも世界に向けて自分の正義を振りかざし、影響力を持つことの危うさである。共同社会の中で合意されたルールではなく、自己の内なるルールを優先させ、個人の意思や感情をネット空間に一方的に解き放ち、不特定多数に拡散する。これは、自由といっても規律のない自由に違いない。しかし社会的合意のない自由は、他者への配慮や互いのコミュニケーションを抜きにした、自分中心の意思表示を容易にする。ネット空間には、こうした尖った自我が溢れていると言えるのではないか。
改めて考えてみると、インターネットによる情報伝達・交換の発達は「ネット社会」という新しい社会状況を形成した。その特性は匿名性と即時性、共時性にあり、発信された情報は時空を超えて世界を一瞬にして駆け巡る。こうした現実は、現代文明が開発したデジタル技術の優位性を示すものにほかならない。だがネット社会の問題は、自分が発信した情報を自分の手で回収できないところにある。一度発信された情報を目に見える形や力の及ぶ範囲でコントロールすることは極めて難しい。
人類は日々の経験の蓄積から多様な生活規範や社会規範、さらに国家としての規範を作り上げ、社会の安定や他者との平和的共存を持続させる制度(体制)を構築した。しかしインターネットの発達は、既存の社会規範や国家体制の仕組みでは捉え切れない社会問題を引き起こすに至っている。これまで時間をかけて整備構築してきた社会制度や人間同士の規律では対処できない事象が生起している状況に対して、現代を生きる私たちは、社会規範の再構築を迫られているように思われる。
これらの問題に迅速かつ適切に対応するためには、国家などの上位組織による規制という、過去には否定的に考えられた効力を用いることも許容しなければならないだろう。もちろん、そうすることによって生じる困難や問題への対策も当然視野に入れておかねばならない。そのときは、人間や社会の本質を考える知恵を持つ宗教者からの発言も必要となるだろう。