異聞 本能寺の変 『乙夜之書物』が記す光秀の乱…萩原大輔著

「敵は本能寺にあり」と叫んで主君・織田信長を襲ったとされる戦国武将・明智光秀。しかし実際に攻め入ったのは家臣だけで、光秀が本能寺にはいなかったことを、これまであまり注目されてこなかった史料を基に解き明かしていく。
本能寺の変に関しては確たる同時代史料が限られ、後世の脚色や創作の加わったドラマが一般に浸透している。著者が着目したのは、『乙夜之書物』にある「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」との記述。『乙夜之書物』(金沢市立玉川図書館近世史料館蔵)には、加賀藩の兵学者、関屋政春(1615~85)が見聞した524のエピソードが記されている。息子たちに向けて書かれたもので、他人に見せることを厳しく禁じているため、偽作の可能性は低いと著者はみる。
「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」の記事は、実際に本能寺に攻め込んだ斎藤利三の三男利宗が語った内容。ほかの文献や当時の情勢を重ね合わせ、光秀は襲撃の時、本能寺から南に約8㌔の鳥羽で重臣たちの戦況を見守っていたと結論付ける。
信長に頭を叩かれたり、饗応のために用意した料理を捨てられたりといった、光秀が怨恨を抱くことになった遠因など、本能寺の変の全体像が検討されている。
定価3080円、八木書店(電話03・3291・2961)刊。