震災を忘れず
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭だ。月日を過ぎ去る旅人に例えたものだが、芭蕉は東日本大震災の被災地・東北にも足を運び、各所に句を残した◆3月11日で震災からちょうど11年がたった。被災地を取材で訪れたが、昨年に比べ、マスコミの数は明らかに減少していた。10年という歳月の経過を示している◆大切な家族を失った真宗大谷派本稱寺(岩手県陸前高田市)の佐々木隆道住職(58)の言葉が忘れられない。「10年や11年など(月日での)節目はない。仮に節目があるとすれば、自分の心が落ち着いた時。だが、そのような時は来ないと思う」◆震災の悲しみ、教訓を忘れずに伝えていく。そう肝に銘じた佐々木住職は、津波で流出し、がれきの中から発見された「勿忘の鐘」を毎年3月11日午後2時46分についている。震災が国内外の各地で起こる昨今、「震災を忘れないことは、災害時に誰かの命を救うということでもある」とも語っている◆確かに月日は百代の過客のように流れ、過去の出来事は忘れられていく。しかし、忘れてはいけないこともある。それがこの震災ではないだろうか。伽藍が整っても、心の復興がまだだという被災者の声も多く聞いた。これからも震災を忘れず、被災地の様子を報道していきたいと心に誓った。(赤坂史人)