手段と目的
近頃、重い腰を上げてダイエットに励むようになった。健康診断の結果にいよいよ黄信号がともってしまったからだ。だらしなく日々を過ごしてきたことを反省し、まずは食事の質の改善から取り組むことにした。意識的に魚や野菜を取るようにして、晩酌ではつまみをやめた◆もちろん運動が大切なのも分かっている。ベランダでの夜風に当たりながらのスクワット。当初は10回も続けられなかったが、徐々に回数が増えていくのが楽しくなった◆体重の推移をアプリで管理・記録することにした。目標に向かって数値が漸減していく様子がグラフで表示されるので、体重計に乗るのも苦ではなくなった◆そのあたりではたと気が付いた。回数をこなせる楽なフォームでスクワットをし、トイレに駆け込んだ直後に体重計に乗っていたことに。不正確な体重に意味はなく、変な負荷がかかって膝や腰を傷めてしまっては本末転倒だ。目先の数字の増減に一喜一憂し、それにとらわれていた。あくまで健康になるための手段にすぎないものが、目的化していたことを反省した◆こうした心の働きも「執着」の一種なのかもしれない。人は往々にして当初の目的を見失い、会議のための会議を開いたり、仕事の成果ではなく忙しさを誇ったりしてしまう。ありのままの現実を見つめ、手段と目的を取り違えることのないよう心掛けていきたい。(佐藤慎太郎)