価値を問い直す
人は誰しも清潔感があり美しいものを好む。それは身なりや服装もそうだろう。だが、あえて気にしなかったり、弊衣破帽だったりしたらどうだろうか◆明治期には旧制高校等で「バンカラ(蛮カラ)」というスタイルが一部の学生ではやった。西洋的なおしゃれを意味する「ハイカラ」に対する言葉という。かつて通った東北の高校はバンカラの伝統が残り、ボロボロの制服で校舎内を闊歩する生徒がいた。強烈なインパクトを受けたが、一種の憧憬のような思いもあった◆大本山須磨寺(神戸市須磨区)は「糞掃衣プロジェクト」を進めている。東京国立博物館に保存される聖徳太子ゆかりの糞掃衣を再現するもので、令和の時代に平和や無病息災を願う企画だ。寺務長の小池陽人氏は「汚い布を洗い清めて縫い、尊い袈裟にする。衣に込めたお釈迦様の教えは『価値の転換』ではないか」と説明した◆思春期に抱いた憧れは初めて出合った価値観へのものだったのかもしれない。インドで新しい教えを説いた釈尊は「本当の尊さとは何か」という問いを糞掃衣で示し、民衆に受け入れられたに違いない◆様々な分断や対立が顕在化する現代社会。それは価値観の対立でもある。釈尊、聖徳太子の時代を経て伝わる糞掃衣は、価値とは何かを現代人に問い掛け、争いのない社会の実現を訴えているのではないだろうか。(赤坂史人)