隙の多い話
「自然の多い田舎で暮らす子どもたちは豊かな感性が育まれるが、コンクリートに囲まれた都会の子どもたちの教育環境はうんぬん」式の話を聞くことがあるが、本当か。感性をよりよく育むための条件は自然環境だけでなく、その人がやりたいと思うことを十分できる受け皿の有無ではないか◆山陰の山奥で育った筆者にとって都会は憧れの場所だった。それは前述の受け皿が豊富だからである。通信技術や交通等が発達した近年は都市部と地方の様々な格差は緩和しているが、それでも田舎はどうしても不利になる。選択肢の豊富さでは都会の方が圧倒的に恵まれているという実感は揺るがない◆あるいは「都会の人は死んだ魚のような目をして満員電車に揺られている。近代文明がもたらした人間疎外の一端だ」式の話。これはある時代までは妥当性があったのだろうが、余暇の確保やその充実した過ごし方などを重んじる現代人にどこまで当てはまるのやら。文明論以前に満員電車の苦痛に耐えていれば誰でも死んだ魚のような目になるだろう◆ほかにも例を挙げればきりがないが、宗教者の説教でこの種の話が語られることも珍しくない◆同じ話や言葉でも神仏を背負う宗教者のそれには妙な説得力が伴う。だから隙の多い話でも納得する人は多いかもしれないが、一方で白けている人も少なくないことは自覚しておくべきだろう。(池田圭)